銀閣寺拝観20170317

銀閣寺の拝観20170317


この時期銀閣寺・哲学の道が比較的空いていると聞き出かけてみました。
確かに写真の通り空いていましたが、桜が咲く直前ということもあり、日本人が修学旅行生を除いて極端に少なく、感慨からの人たちが主でした。
来るたびに境内がきれいになってきており、わびさびの世界は感じられませんがこれはこれでいいのかなという感じです。
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この項 <完>






# by mo-taku3 | 2017-03-21 16:45 | 京都風情 | Comments(0)

京都天道神社と昭憲皇太后20170212

京都天道神社と昭憲皇太后20170212


天道神社はあまり目立たない小さな神社である。
ただ、昭憲皇太后の御胞衣(胎盤)塚があり一条家との関係が分かる。駒札には、
「天道宮と呼ばれ、山城の国の長岡の地(現在の京都府長岡京市)に鎮座したが、延暦十三年(七九四年)桓武天皇の平安遷都とともに、三条坊門東洞院(現在の東洞院御池上ル付近)に勧請された。

平安京に勧請された当時は、皇族をはじめ京の人々が常々集まり、荘厳な宮であったが、度々の兵火により焼失した。

天正二年(一五七四年)に織田信長により現在の地を拝領し再興したが、天明八年(一七八八年)の大火で再び焼失し、その後は再建修復されて現在に至る。

 境内には市杵島比売命(弁財天)厳島社をはじめ、洛陽二五社天道天満宮、約束稲荷神社、八坂社等を祀る。また、明治天皇の皇后昭憲皇太后の御胞衣(胎盤)塚があり、これは一条家に誕生された皇太后の栄華祈願のため、父君がこの地に御胞衣を埋納したところ、十九歳のときに皇后宣下を受けられたと伝えられている。」

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2017-03-21 16:30 | 歴史散歩 | Comments(0)

鹿ケ谷・銀閣寺周辺散策20170317

鹿ケ谷・銀閣寺周辺散策20170317

哲学の道から東山の山手には大豊神社をはじめ、霊鑑寺・安楽寺と
あり、
銀閣寺に近づくと椿で有名な法然院がある。
法然院を出て銀閣寺の方へ向かうと大きな冷泉天皇桜本陵があり、色々な花木をながめながら銀閣寺の前につながっている。
ちょっとした坂道だが気持ちのいいところである。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2017-03-21 06:32 | 京都風情 | Comments(0)

大豊神社(京都哲学の道)20170317

大豊神社(京都哲学の道)20170317


この神社は、鹿ケ谷・南禅寺一帯の産土の神様。
御旅所があるのでかなり大きな由緒ある神社だったことが分かる。
今はいろいろな狛犬が特徴となっている。
狛巳・狛鷲・狛猿・狛鼠が配置されている。
社伝によると、仁和3年(887)宇多天皇の御悩平癒祈願のために、贈正一位尚侍藤原淑子が勅命を奉じて、少彦名命を東山三十六峰、第十五峰目の椿ヶ峰に奉祀して創建された。
後に応神天皇と菅原道真公が合祀され、昭和29年には、京都市よりいにしえの都の古刹として「名勝地」に指定されいる。
又、哲学の道の「ねずみの社」として全国的に有名。
ご神徳としては、治病健康、福徳長寿、学業成就、縁結び、子授け安産とある。
境内は枝垂紅梅・椿など、四季折々の花木が心をながめられる。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2017-03-17 14:14 | 京都風情 | Comments(0)

山辺の道(古代史の故郷)の風景20170216

山辺の道(古代史の故郷)の風景20170216


山辺の道(やまのべのみち)は大和古道のひとつで、奈良盆地の東南にある三輪山のふもとから東北部の春日山のふもとまで、山々の裾を縫うように南北に通ずる古道を指す。歴史上の記録では日本最古の道として知られている。

この道は奈良から石上・布留(天理市)を経て三輪(桜井市)に通じていたとみられるが、しだいに西側の上ッ道が多く用いられるようになった

昨今の纒向遺跡の発掘により、この山の辺の道は、弥生時代後期には、布留遺跡と纒向遺跡を結ぶ道であったとも推測されている。

その全長は約35km、幅は2m足らずの小道であるが、この道沿いには石上神宮、夜都岐神社、衾田陵(西殿塚古墳)、長岳寺、崇神天皇陵、景行天皇陵、桧原神社、大神神社、などがあり、重要な幹線道路であったことをうかがわせており、三輪山近くにあった海石榴市(つばいち)は、日本最古の市が立ったところだといわれており、ここまで船荷が届けられたという
現在一般的にハイキングコースとして親しまれるのは天理市の石上神宮から桜井市の大神神社付近までの約15km
の行程で、その多くは東海自然歩道となっている。
また、山の辺の道からは、その眼下に奈良盆地が大きく開けており、生駒山や二上山などの大和三山。天気が良ければ葛城・金剛の山々なども遠望できる。
今回はこの道を天理市から景行天皇陵近くまで歩いてみた。


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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2017-03-16 12:40 | 歴史散歩 | Comments(0)