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京都の元祇園社の【梛(なぎ)神社】御幸祭

京都の元祇園社の【梛(なぎ)神社】御幸祭


梛(なぎ)神社は、八坂神社の古址にあたるので元祇園社と呼ばれる。石標にも書かれている。
素戔鳴尊(すさのおのみこと)を主神とし、宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、誉田別尊(ほんだわけのみこと)などを配祀する。
貞観(じょうがん)11年(876)京都に疫病が流行したとき、牛頭天王(ごずてんのう)(素戔鳴尊)の神霊を播磨国(はりまのくに)広峰から勧請(かんじょう)して鎮疫(ちんえき)祭を行ったが、このときその神輿(みこし)を梛の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであるという。
後に神霊を八坂(今の八坂神社)に遷祀したとき当地の住人は花を飾った風流傘(ふうりゅうがさ)を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を八坂に送った。これがのちの祇園会(ぎおんえ)の起源といわれる。
また、当社は維新の頃は田圃の中の一小祠であったが、明治7年(1874)と昭和4年(1929)の復興を経て現在に至った。

先日散歩で壬生寺に出かけてみたとき、境内でこのポスターを見つけた。
梛神社は、壬生町界隈が氏子になっているらしく、このポスターがあったと思われる。

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東鳥居。

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駒札。

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今からの巡行の出陣準備が整っている。

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子供神輿の子供たちが赤いハッピでうれしそう。
見ていると親が心配そうに見つめていた。
行列が始まると子供の数だけ親が居る感じで、長い行列ができていた。
そのせいか、子供神輿だけ、巡行順路を変えている。

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鎮撫少年隊が集まっていた。子供神輿よりも一回り高学年のお兄ちゃんたちである。

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飾り馬も数頭用意されており、行列の中に引かれていった。

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私は後半、境内で待機していたが、次から次と、山車などが出て行った

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伝統の神事獅子舞を自治会全員で賑やかに奉納する。
この獅子舞は二人の獅子使いが獅子頭にユタンという胴衣をつけたものを被って、花笠、綾などを持った子役とともに、笛、太鼓、拍子木などの囃しに合わせて、種々の所作表現をしながら舞踊するもので、可憐優雅なものや軽快勇壮なもの、ユーモラスで曲芸的なものなど多彩である。
なかでも継獅子は獅子も童子もともに人の肩の上に乗り、立ち上がってアクロバット的な演技をするもので、『梛の継獅子』として特に有名。
梛八幡神社獅子舞の舞技は、郷土芸能としての真価が認められ、兵庫県無形民俗文化財の指定を受けています。


隼神社は、建甕槌神を主祭神とし、経津主神を配祀する。ただし、国史では祭神は「隼神」と記載されている。延喜式神名帳に「京四條坐一座 隼神社」として記載される古社で、大社に列している。延喜式神名帳には京中に3座3社が記載されているが、他の2社は廃絶している。
元は蛸薬師坊城(現 中京区壬生御所ノ内町)にあり、貞観2年(860年)に従五位下の神階を贈られ、天慶16年に従四位上まで昇っている。
江戸時代には隼は訛って「ハヤクサ」と読まれ、そこから瘡(くさ。皮膚病の一種)の平癒に霊験ありとされるようになった。
大正7年(1918年)、現在地の梛神社境内に遷座した。

こちらの例祭日は11月17日となっており、梛神社と一緒ではない。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-19 12:22 | (祭特集)祇園祭他 | Comments(2)

Commented by toshi at 2013-05-22 08:13 x
こうして祭りが地域社会の共同作業として行われ 地域住民の関わり合いが持たれることで 地域住民の結束 仲間意識が芽生えてきたのでしょうね 
結婚直後にマンションに住んだ時 一度も隣の御主人と交流することも無く マンション前で朝バスを待つときに無言で頭を下げるだけの5年間でした 子供の頃 祭りは駄菓子を食べるだけで 屋台を引かせて貰うことも有りませんでした 拓さんは京都新住民として地域の行事には参加されているのですか?
Commented by mo-taku3 at 2013-05-23 23:12
私の住んでいるマンションは64戸入っていますが、このマンションができる以前は、30数戸しかなかったのですが、我々のマンションができることを期待されていたそうです。
理由は、町内に保昌山という山があり、この維持に結構大変だったそうです。金銭面もありますが、お年寄りが多い中、巡行時の供揃い人数でした。今では、マンションあげて参画しています。八坂神社の氏子として昔ながらの地域住民とは、非常に仲良くやってます。