ガラシャ夫人が輿入れした勝龍寺城址20170428
長岡京市のホームページによると、
「勝龍寺城は暦応2年(1339)、足利尊氏の命により細川頼春によって築城されました。 天正6年(1578)、明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が、細川忠興に嫁ぎ、2年間、この城で幸福な新婚時代を過ごしました。・・・」
とあります。
「本能寺の変」の後、山崎の合戦では明智光秀がこの城に本陣を構えましたが、敗戦時にこの城の北門から哲太したとつたえられている。
現在は勝竜寺城公園として平成4年(1992)から整備・保存されている。
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●ここにこのお城の縄張りが少し見ることができます。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2017-04-28 15:56 | (城郭)全国のお城 | Comments(2)
余りにも秀吉の中国大返しが速かったために光秀は戦略を間違えたのではないでしょうか 天王山を先に抑えていれば 秀吉は大軍をもってしてもそう簡単には光秀を攻め落とせなかったのではないでしょうか
このお城は縄張りを調べるとかなり大きかったようです。現在のお堀から数百mの所にある神足神社のあたりにも空堀が残っており大きさがわかります。
準備不足で始めた戦だったのは間違いですね。
現在も期待値で何かをしようとしても上手くいかないのとおなじです。(笑)