京都御苑「京都御所特別拝観」20240322
京都御所では、3月20日~24日で特別拝観をやっています。拝観したのは22日で建機のいい中日でした。普段は一般公開されていて、休観日を除く日は手荷物検査のみで、自由に拝あかんできますが、特別拝観では以下の四点が拝観できるようになります。
特に、普段は入れない「紫宸殿」エリア内に入れるため、間地かで紫宸殿が見られました。良い機会を得たことに感謝です。
今回の特別拝観個所は、
・屏風の展示「源氏の画え」(宜秋門番所)
・紫宸殿(ししんでん)
・高御座・御帳台の公開:人形を用いた装束(束帯そくたい、十二単じゅうにひとえ)の展示(大臣宿所)
・御三間(おみま)御殿室内の公開
御三間とは、七夕や明治天皇の成長儀礼などが行われ、孝明天皇崩御後しばらくは、明治天皇の臨時のお住まいにもなった御殿。
室内には、賀茂祭(葵祭)など、平安時代に行われていた儀式の様子が画えがかれています。
●さて、京都御所について、少し解説を入れたいと思います。(資料より参照)
元々、京都御所の機能は平安京の内裏にありました。
しかし、内裏火災の度に,天皇は京内の藤原氏の邸宅などに移り住み,そこを里内裏と呼びました。11世紀半ばから天皇は堀河院・一条院・枇杷殿(びわどの)・京極殿・東三条殿などの里内裏に常住することが多くなり,里内裏の一つであった土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)を光厳天皇(こうごんてんのう)が居所と定めてからは,北朝の主たる皇居として定着し,明徳3(1392)年,後小松天皇の在位時に南朝より三種神器が渡され,南北朝が合一されると,以後,他所へ移ることなく,この場所が皇居と定まりました。京都御所は、その古来の内裏の形態を今日に保存している由緒あるもので、現在のものは安政2年(1855年)の造営とあります。
紫宸殿を始めとし、清涼殿、小御所、御学問所、御常御殿など平安時代以降の建築様式の移りかわりを見ることができます。
天明8(1788)年に天明大火で焼失した際,幕府は老中松平定信に命じて内裏造営にあたらせました。寛政2(1790)年,定信は裏松固禅(1736~1804)の『大内裏図考証』(だいだいりずこうしょう)に従い,承明門・紫宸殿・清涼殿などの一郭を平安時代の形式で復元再興しています。また、安政元(1854)年にも焼失しますが,翌年には寛政時と同規模で再建されました。これが現在の京都御所の建物です。
内裏敷地は,江戸初期の慶長造営時に東に拡大して,その後何回かの拡張を経て,現在は東西で254メートル,南北で453メートルとなり,中世の土御門東洞院内裏の数倍の広さになっています。
その京都御所は,1869年に明治天皇が東京に奠都されるまでの約500年間,天皇の住まいとして使用されていました。この間,幾度となく火災に遭いその都度再建が行われましたが,現在の建物の多くは1855年に再建されたものです。
京都御所の建物の中で最も格式の高い正殿である紫宸殿は,伝統的な儀式を行うために,平安時代の建築様式で建てられており,現在の建物では明治,大正,昭和,三代の天皇の即位礼が行われました。建物内部には即位礼の際に使用する天皇の御座である高御座と皇后の御座である御帳台が安置されています。
現在の京都御所では,御即位等を祝うために京都御所茶会が催されるほか,国賓の接遇も行われており,皇室文化を紹介する場として重要な役割を果たしています。
また,敷地内には池を中心とした回遊式庭園である御池庭,庭石や灯籠を配した御内庭など,木々や花々などを愛でながら季節の移り変わりを楽しめる庭園も備わっています。
この項 <完>