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ぶらり街散歩「歴史ある京都の街」!松原通(旧五条通)を歩いて見る!20251201

ぶらり街散歩歴史ある京都の街」!
松原通(旧五条通)を歩いて見る!20251201



(松原通とは)
松原通(まつばらどおり)は京都市の東西の通りの一つで、東は清水寺門前から、西は佐井西通の一筋西までをいいます。
東の端、清水寺門前から東大路通までは清水道ともよばれ、寺町通から西は平安京の五条大路にあたります。いわゆる、旧五条通というわけです。
この五条大路は、清水寺の参道として、大いに栄えていました。今でも道の両側には、昔からの商店が所々にあり、往時の面影を残しています。また、松並木の綺麗な通りとして「五条松原通」と言われるようになり、更にその後に「松原通」の名前だけが残り現在に至ったわけです。
(豊臣秀吉による京都の区画整備)
豊臣秀吉が、焼けた平安京の街の区画を整理した時、五条の橋を現在の地に架けたことから、二筋南に五条通の名前が移りました。つまり、牛若丸と弁慶が出会ったと言われる「五条の橋」は、松原通に架かる橋のことをいい、現在の五条大橋西詰におかれている2人の像(義経と弁慶)は、二筋南におかれていることになるわけです。なお現在の松原橋は1935年の鴨川水害で倒壊流失後に架け替えられたものです。
実は、牛若丸と弁慶の出会ったとされる橋も、鴨川であるとする説の他、鴨川には橋は架かっておらず、沿道の五條天神社の近く、西洞院通に沿って流れていた川に架かっていた橋であるとする説もあります。
(現在の松原通の道路事情)
現在は多くの区間が東行きの一方通行で、東大路以東が西行き・東大路-木屋町間が東行き・木屋町-河原町は拡幅され両方通行、河原町-烏丸間が東行き一方通行、烏丸-大宮通間が西行きの一方通行、(佐井通-西大路通間を除く)大宮以西は拡幅され両方通行と車で松原通を通り抜けられない扱いになった、残念な通りです。
堀川通をはさんで商店街が続いています。近年、通りを盛り上げるイベントが開催されており、義経と弁慶の似顔絵の旗があがっています。
昔は祇園祭の山鉾巡行も行われていたりする歴史のある通りでもあります。八坂神社と伏見稲荷大社の祭りの境界線がこの辺りになってます。(京都は、八坂神社・平安神宮・伏見稲荷大社ほかのそれぞれの氏子は区画が分かれています。住んでいる場所で、氏神様が決まっています。)

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(親鸞入滅の地「光圓寺」説)
親鸞入滅の地とも言われている一つです。門前に「親鸞聖人御入滅之地 五条西洞院月輪本荘 花園殿奮跡」の石碑が立っています。
宗祖の親鸞を神格化?するのは、どこの宗教も同じように、都合のいい場所になっていくのが、よく見られることですが、親鸞入滅の地もアピールしやすい場所として、複数の候補地があります。この「光圓寺(真宗大谷派)」もその一つです。
光圓寺は、親鸞の京洛に於ける寓居地跡であったことは間違いないようです。ここには、京都市の指定文化財の紙本着色「京洛月次風俗図扇面流屏風」(狩野元信印)を所蔵しているそうです(現在は京都国立博物館に寄託)。
寺伝によればこの地には親鸞聖人の流罪前と帰洛後の住居があったということです。親鸞聖人はこの地で入滅され、ご遺体は事情があって善法院に移されたといいます。また、この地は『御伝鈔』熊野霊告段が伝える、常陸国大部の平太郎が熊野詣の可否を聖人に尋ねるために訪れた場所とされ、余間には平太郎の木像が安置されています。
(入滅の地「善法院跡(現御池中学」説))
弘長2年11月28日(1263年1月16日)、90歳の高齢を迎えた親鸞聖人は、11月の下旬より病床につかれ、28日にこの地にあったという善法院において往生の素懐を遂げられたと言われています。

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松原通は、今でも店舗が多く人の動きもまあまあのようです。色々なお店があり、この通りで、衣食がほぼ賄えるようです。

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(北来地蔵菩薩像)
松原通を西に進み、堀川通を渡ったすぐ右手にこの像があります。ここ松原通堀川西入の、北門前町及び来迎堂町の地蔵菩薩像二体がここに祀られています。
「北門前町」は、松原通の南の町内で、町名はこの近くにあった、日蓮宗の大本山「本圀寺」(現在は山科に映っています)の北門前に位置することに由来しています。
また、「来迎堂町」は、松原通の北の町内で、町名は天仁2年(1109)にこの地に創建された寺院である来迎堂に由来してます。
両町とも、天明8年(1788)の大火で罹災しましたが、その後、町内の人々の深い地蔵信仰に支えられてつくられたのが、この地蔵菩薩像であるといわれています。
これらの地蔵菩薩像は、近年町内の古老の家で祀られていましたが、堀川通の暗渠整備に伴い、町内の人々によって地蔵堂が造られ安置されました。
地蔵菩薩像は、北門前町が立像、来迎堂町が坐像ですが、いずれも江戸時代につくられた木彫の貴重な像であり、小さいながらもお堂を建て祀られています。
なお、北来の名称は、北門前町と来迎堂町の頭文字をとったもので、昭和15年より一般にこのように呼ばれるようになっています。
日蓮宗大本山・本圀寺の北門前
堀川通松原上ル西側に、北来地蔵菩薩(ほくらい-じぞうぼさつ)が祀られている。
 北門前町(きたもんぜん-ちょう、松原通堀川西入ル南側)、来迎堂町(らいごうどう-ちょう、松原通堀川西入ル北側)の2町にまつわる地蔵菩薩像2体が安置されています。

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(町屋の旅館)
最近あちこちに特にみられる町屋を改造した旅館です。京都は宿泊施設が大幅に不足しているようで、今も増え続けているようです。

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(京都市立洛友中学夜間部)
モダンな建物がりました。近づくと「京都市立洛友中学夜間部」との看板がありました。この学校は、昼間部と夜間部の良さを生かし、世代や国籍を超えてふれあい学び合う学校と書かれていました。
京都府内唯一の夜間中学だそうです。

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※いつも思うことですが、京都は、歩いていて「旧所・名跡」に当たる確率は非常に高いです。しかしこれは必ず歴史が伴います。そこで家に持ち帰り、調べた結果をブログにしています。調べてみると、色々知らなかったことが出てきて、ワクワクしながらやってます。
ブログへの掲載が、遅くなりがちですが、行差をいただきながら進めていきますので、
宜しくお願い致します。












この項 <完>





# by mo-taku3 | 2025-12-08 13:50 | (風景・風俗・散策・見学)ぶらり京都 | Comments(0)

「メタセコイヤ」と言えば高島市マキノ町!赤茶色に染まった並木道が有名に!20251208

メタセコイヤ」と言えばマキノ町!
赤茶色に染まった並木道が有名に!20251208



やっぱり最後はこれでしょう!
行ってきました「メタセコイヤ並木」です。
高島市の広報誌によりますと、
「マキノピックランドを縦貫する町道沢牧野線と同様に続く県道小荒路牧野沢線には、延長2.4kmにわたってメタセコイアが約500本植えられ、遠景となる野坂山地の山々とも調和し、マキノ高原へのアプローチ道として高原らしい景観を形成しています。
この並木は、昭和56年に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環としてマキノ町果樹生産組合が植えたのが始まりですが、組合関係者をはじめとする地域の人々の手により慈しまれ、育まれて、その後さらに県道も協調して植栽され、延長が伸ばされたことから、現在のこの雄大な姿となったものです。メタセコイアは、中国原産、スギ科メタセコイア属の落葉高木で、和名はアケボノスギ。最大樹高が115mにも及ぶといわれるセコイアにその姿が似ていることから、メタ(変形した)セコイアと名づけられています。春の芽吹き・新緑、夏の深緑、秋の紅葉、冬の裸樹・雪花と四季折々に訪れる人々を魅了します。平成6年、読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定され、注目を集めるに至っています。」
とあります。
ここが話題になってから、あちこちにあるメタセコイヤ、たとえば、ゴルフ場、植物園・公園などにあるこの木が目に入るようになりました。しかし、マキノ町のメタセコイヤ並木とは比べ物になりませんね。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2025-12-09 16:29 | (風情)京都の季節の花木 | Comments(0)

ぶらり街散歩「歴史ある京都の街」!松原通(旧五条通)を歩いて見る!20251201

ぶらり街散歩歴史ある京都の街」!
松原通(旧五条通)を歩いて見る!20251201



(松原通とは)
松原通(まつばらどおり)は京都市の東西の通りの一つで、東は清水寺門前から、西は佐井西通の一筋西までをいいます。
東の端、清水寺門前から東大路通までは清水道ともよばれ、寺町通から西は平安京の五条大路にあたります。いわゆる、旧五条通というわけです。
この五条大路は、清水寺の参道として、大いに栄えていました。今でも道の両側には、昔からの商店が所々にあり、往時の面影を残しています。また、松並木の綺麗な通りとして「五条松原通」と言われるようになり、更にその後に「松原通」の名前だけが残り現在に至ったわけです。
(豊臣秀吉による京都の区画整備)
豊臣秀吉が、焼けた平安京の街の区画を整理した時、五条の橋を現在の地に架けたことから、二筋南に五条通の名前が移りました。つまり、牛若丸と弁慶が出会ったと言われる「五条の橋」は、松原通に架かる橋のことをいい、現在の五条大橋西詰におかれている2人の像(義経と弁慶)は、二筋南におかれていることになるわけです。なお現在の松原橋は1935年の鴨川水害で倒壊流失後に架け替えられたものです。
実は、牛若丸と弁慶の出会ったとされる橋も、鴨川であるとする説の他、鴨川には橋は架かっておらず、沿道の五條天神社の近く、西洞院通に沿って流れていた川に架かっていた橋であるとする説もあります。
(現在の松原通の道路事情)
現在は多くの区間が東行きの一方通行で、東大路以東が西行き・東大路-木屋町間が東行き・木屋町-河原町は拡幅され両方通行、河原町-烏丸間が東行き一方通行、烏丸-大宮通間が西行きの一方通行、(佐井通-西大路通間を除く)大宮以西は拡幅され両方通行と車で松原通を通り抜けられない扱いになった、残念な通りです。
堀川通をはさんで商店街が続いています。近年、通りを盛り上げるイベントが開催されており、義経と弁慶の似顔絵の旗があがっています。
昔は祇園祭の山鉾巡行も行われていたりする歴史のある通りでもあります。八坂神社と伏見稲荷大社の祭りの境界線がこの辺りになってます。(京都は、八坂神社・平安神宮・伏見稲荷大社ほかのそれぞれの氏子は区画が分かれています。住んでいる場所で、氏神様が決まっています。)

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(親鸞入滅の地「光圓寺」説)
親鸞入滅の地とも言われている一つです。門前に「親鸞聖人御入滅之地 五条西洞院月輪本荘 花園殿奮跡」の石碑が立っています。
宗祖の親鸞を神格化?するのは、どこの宗教も同じように、都合のいい場所になっていくのが、よく見られることですが、親鸞入滅の地もアピールしやすい場所として、複数の候補地があります。この「光圓寺(真宗大谷派)」もその一つです。
光圓寺は、親鸞の京洛に於ける寓居地跡であったことは間違いないようです。ここには、京都市の指定文化財の紙本着色「京洛月次風俗図扇面流屏風」(狩野元信印)を所蔵しているそうです(現在は京都国立博物館に寄託)。
寺伝によればこの地には親鸞聖人の流罪前と帰洛後の住居があったということです。親鸞聖人はこの地で入滅され、ご遺体は事情があって善法院に移されたといいます。また、この地は『御伝鈔』熊野霊告段が伝える、常陸国大部の平太郎が熊野詣の可否を聖人に尋ねるために訪れた場所とされ、余間には平太郎の木像が安置されています。
(入滅の地「善法院跡(現御池中学」説))
弘長2年11月28日(1263年1月16日)、90歳の高齢を迎えた親鸞聖人は、11月の下旬より病床につかれ、28日にこの地にあったという善法院において往生の素懐を遂げられたと言われています。

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松原通は、今でも店舗が多く人の動きもまあまあのようです。色々なお店があり、この通りで、衣食がほぼ賄えるようです。

ぶらり街散歩「歴史ある京都の街」!松原通(旧五条通)を歩いて見る!20251201_e0237645_17583880.jpg

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(北来地蔵菩薩像)
松原通を西に進み、堀川通を渡ったすぐ右手にこの像があります。ここ松原通堀川西入の、北門前町及び来迎堂町の地蔵菩薩像二体がここに祀られています。
「北門前町」は、松原通の南の町内で、町名はこの近くにあった、日蓮宗の大本山「本圀寺」(現在は山科に映っています)の北門前に位置することに由来しています。
また、「来迎堂町」は、松原通の北の町内で、町名は天仁2年(1109)にこの地に創建された寺院である来迎堂に由来してます。
両町とも、天明8年(1788)の大火で罹災しましたが、その後、町内の人々の深い地蔵信仰に支えられてつくられたのが、この地蔵菩薩像であるといわれています。
これらの地蔵菩薩像は、近年町内の古老の家で祀られていましたが、堀川通の暗渠整備に伴い、町内の人々によって地蔵堂が造られ安置されました。
地蔵菩薩像は、北門前町が立像、来迎堂町が坐像ですが、いずれも江戸時代につくられた木彫の貴重な像であり、小さいながらもお堂を建て祀られています。
なお、北来の名称は、北門前町と来迎堂町の頭文字をとったもので、昭和15年より一般にこのように呼ばれるようになっています。
日蓮宗大本山・本圀寺の北門前
堀川通松原上ル西側に、北来地蔵菩薩(ほくらい-じぞうぼさつ)が祀られている。
 北門前町(きたもんぜん-ちょう、松原通堀川西入ル南側)、来迎堂町(らいごうどう-ちょう、松原通堀川西入ル北側)の2町にまつわる地蔵菩薩像2体が安置されています。

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(町屋の旅館)
最近あちこちに特にみられる町屋を改造した旅館です。京都は宿泊施設が大幅に不足しているようで、今も増え続けているようです。

ぶらり街散歩「歴史ある京都の街」!松原通(旧五条通)を歩いて見る!20251201_e0237645_18000953.jpg

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(京都市立洛友中学夜間部)
モダンな建物がりました。近づくと「京都市立洛友中学夜間部」との看板がありました。この学校は、昼間部と夜間部の良さを生かし、世代や国籍を超えてふれあい学び合う学校と書かれていました。
京都府内唯一の夜間中学だそうです。

ぶらり街散歩「歴史ある京都の街」!松原通(旧五条通)を歩いて見る!20251201_e0237645_18001006.jpg

ぶらり街散歩「歴史ある京都の街」!松原通(旧五条通)を歩いて見る!20251201_e0237645_18001077.jpg


※いつも思うことですが、京都は、歩いていて「旧所・名跡」に当たる確率は非常に高いです。しかしこれは必ず歴史が伴います。そこで家に持ち帰り、調べた結果をブログにしています。調べてみると、色々知らなかったことが出てきて、ワクワクしながらやってます。
ブログへの掲載が、遅くなりがちですが、行差をいただきながら進めていきますので、
宜しくお願い致します。












この項 <完>





# by mo-taku3 | 2025-12-08 13:50 | (風景・風俗・散策・見学)ぶらり京都 | Comments(0)

京都の紅葉は未だですが最終章として!最後に載せるのは「東福寺」の紅葉!20251206

京都紅葉は未だですが最終章として!
最後に載せるのは「東福寺」の紅葉!20251206



東福寺を最後とします。まだ、永観堂・曼殊院・圓光寺・法厳院・三千院などなど、載せきれなかったものが多くありますが、勝手ながら、今年はここ「東福寺」終わらせていただきます。

東福寺は塔頭にも素晴らしいところがありますが、東福寺自体は全国的に知られ、紅葉の境内に入るのには、朝早くから並ぶ必要があります。その結果がこのような紅葉風景が得られます。
ご覧ください。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2025-12-07 17:00 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(0)

京都の紅葉、未だですが最終章として!残り幾つか載せて「高台寺台所坂」!20251206

京都紅葉、未だですが最終章として!
残り幾つか載せて「高台寺台所坂」!20251206



高台寺の「台所坂」です。これを載せたのは、大好きなところということもありますが、実はこの通りが暖かさを保っているようで、12月中旬ころまで子の紅葉が見られます。
この坂は、ねねさんが毎日秀吉さんが眠る「霊屋」にお参りする緩やかな佐上だったといいます。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2025-12-07 16:20 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(0)

京都の紅葉、未だですが最終章として!残り幾つか載せて「龍安寺」!20251130

京都紅葉、未だですが最終章として!
残り幾つか載せて「龍安寺」!20251124



ここ「龍安寺」エリザベス女王も評価された、石庭のお寺です。
ここは年中人が訪れています。ここは”紅枝垂桜”が沢山あり、桜の時期になると駐車場も満杯で入れないくらいですが、紅葉も同じように混みますので、早めに出かけてみました。
それでも池の周りを中心に、紅葉風情も少し見れました。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2025-12-07 16:00 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(0)