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鳥羽離宮跡「広大だったその一部」20240315

鳥羽離宮跡「広大だったその一部」20240315



地下鉄「竹田駅」から10数分の所に、安楽壽院や近衛天皇、鳥羽天皇陵があります。この辺りは広大な「鳥羽離宮跡」の一部にあたりますが、この安楽壽院の横に鳥羽離宮の絵図面と説明が乗っている説明台が置かれています。(ここにも掲載しました。)
この「安楽寿院」というのは、鳥羽離宮にあった沢山の殿舎・寺院のなかでも残っている数少ないものです。付近一帯は平安時代末期(11~12世紀)、院政の舞台となった鳥羽離宮の跡地であり、安楽寿院は離宮内に営まれた仏堂の後身です。
鳥羽離宮は、応徳3年(1086年)時の白河天皇が退位後の居所として造営を始めたものでした。平安京の南に位置する鳥羽の地は桂川と鴨川の合流点にあたり、交通の要衝であるとともに風光明媚な土地でもあったようです。東西約1.2~1.5 km、南北約1kmの範囲に、御所、庭園、仏堂などが営まれた。最初に営まれた御所は後に南殿と称され、その後、北殿、泉殿、馬場殿、東殿、田中殿などが相次いで建設され、白河・鳥羽・後白河の3代の院政の舞台となったところです。
鳥羽離宮の各御所には白河上皇および鳥羽上皇によって仏堂が営まれました。最初に造営された南殿に付属した仏堂は「証金剛院」と呼ばれ、以下、北殿には「勝光明院」、泉殿には「成菩提院」、東殿には「安楽寿院」、田中殿には「金剛心院」が造営されたそうです。鳥羽離宮内の他の御所や仏堂が跡形もなく滅びた中にあって、安楽寿院のみは、近世以降に再建されて現在に至っています。
その後(久安4年(1148年))頃に、鳥羽法皇は皇后美福門院のために別の三重塔が建てられ、ましたが、伝わるところによりますと、美福門院はここに葬られることを良しとせず、本人の遺言により高野山に葬られております。新御塔には鳥羽法皇と美福門院との子で夭折した近衛天皇が葬られることになった(近衛天皇陵安楽壽院南陵)。
また、白河天皇成菩提院陵も、鳥羽離宮跡地の中にあります。
白河天皇が7歳の「堀河天皇に譲位し、堀河天皇が29歳の若さで亡くなると、その子(孫)を鳥羽天皇にして院政を続けたといいます。鳥羽天皇も同じような形をとっています。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2024-03-16 15:00 | (歴史感)京都 | Comments(0)

植物園桜「ソメイヨシノ×シナオウトウ」20240318

植物園「ソメイヨシノ×シナオウトウ」20240318



不思議な分かりやすい名前の桜がありました。「ソメイヨシノ(染井吉野)×シナオウトウ(志那桜桃)」の交配種のようです。文献にもしっかり載っています。
桜桃とはサクランボの品種のようです。この交配した桜はどんな身がなるのか、また行って調べてみたいと思っています。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2024-03-18 15:00 | (風情)京都の季節の花木 | Comments(0)

植物園「彬姫(あきひめ)桜」20240318

植物園彬姫(あきひめ)20240318


ちょっと気になる文章を見つけました。この桜には『門外不出』と書いてありました。
この桜は、京都ではちょっと有名な「佐野藤右衛門」という庭師の方で、京都円山公園の桜守を橙やっているようです。かなりのお歳のようです。
この方が作り出した桜のようです。門外不出とはどうゆうことなのでしょうね。他の色々な交配種を見ても、広く公開しているようですが、植木屋を商売にしているからなのでしょうか。もっとオープンにすると、きれいな花がもっと広がるのではないでしょうか!

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2024-03-18 14:30 | (風情)京都の季節の花木 | Comments(0)

京都御所「猿が辻(鬼門除け)」20240312

京都御所「猿が辻(鬼門除け)」20240312



猿が辻(さるがつじ)、京都御所の北東角地がこう呼ばれています。ここは京都御所の鬼門にあたり、軒下にはサルの木像が鬼門を守っています。
昔から陰陽道において北東の方角は「鬼門」で、災がやってくる方角です。これを防ぐためには北東角にナンテン(難を転じて福となす)を植えたりしますが、昔からは北東、丑寅の方角に対する防御は現代以上に行なわれていました。
平安京では、十二支において丑寅と反対の方角を裏鬼門と呼び、その干支であるサル(申)をもって防御にあたらせました。都の北東延長線上にはサルを守護神とした神社仏閣を造っております。出雲幸神社、赤山禅院、比叡山延暦寺、日吉大社がそれらです。それらは、すべてサルが祀られています。
京都御所においては鬼門に当たる場所は凹んで曲がっていますが、これは「魔が去る」という意味で塀の軒下に鬼門除けの猿が祀られています。
ちょっと見にくいのですが、サルの木像は右向き、御幣を肩に担いでいます。現場では軒下が暗くてはっきり見えず残念です。
その猿の木像の前は金網で蓋をされた形となっていますが、夜な夜なサルが抜け出し奇声を発して皇室の方々に迷惑をかけていたので金網で覆い逃げ出さないようにしたということのようです。
色々な建造物がありますね。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2024-03-17 15:00 | (紹介記事)京都 | Comments(0)

京都御苑「明治天皇生誕地(中山邸跡)」20240312

京都御苑「明治天皇生誕地(中山邸跡)」20240312



京都御所の北東、旧桂宮邸の東隣に「旧中山邸」があります。ここは、明治天皇の生誕地でもあります。又その邸内に京都御苑三大名水のひとつ、「祐井(さちのい)」があります。
孝明天皇の第二皇子である明治天皇の母は権大納言中山忠能の娘・慶子(よしこ)です。
明治天皇は、1852年11月3日(嘉永5年9月22日)に京都の、ここ「旧中山邸」で生まれ、祐宮(さちのみや)と命名されました。1860年(万延元年)に立太子となり、父・孝明天皇が急逝して、1867年1月30日(慶応2年12月25日)に践祚しました。
この地は明治天皇の生母一位局の実家中山家の旧地で,嘉永6年(1853)夏の日照りに井戸を掘ったところ清水が涌き出た。前年にここで生れ養育されていた、明治天皇の幼名である「祐宮(さちのみや)」から孝明天皇がその井戸を「祐井(さちのい)」と命名したといわれています。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2024-03-17 15:00 | (歴史感)京都 | Comments(0)

京都御苑「梅林の梅は見納め」20240312

京都御苑「梅林の梅は見納め20240312



さて、京都御苑の桃林の隣が「梅林」ですが、こちらは早咲きの梅ははやくにおわり、この日(3/1)遅咲きの梅が満開でした。また古木が多いせいか咲くのが遅くなっているのかもしれませんね。たぶこの20日頃までで見納めになる感じがしました。今は写真の様に林全体で絵になっているようでした。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2024-03-17 14:20 | (風情)京都の季節の花木 | Comments(0)