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錦市場と伊藤若冲について

錦市場と伊藤若冲について


画家の伊藤若冲が錦市場の出と聞いて調査を開始してみると、以下のようなことが分かった。
詳しくは、後で述べるとして、若冲はまさしく錦市場の出身だった。
その場所は、高倉通錦小路東角の「枡屋」という所だったらしい。向かいの乾物屋さんのおかみさんに尋ねると「すぐそこの角!何にもないよ」とそっけなかった。
そこは新しいお店ができていた。また、若冲を物語る軌跡は何もなかった。
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さて、若冲は、1716年3月1日-1800年10月27日。享年84才。
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京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」(通称「枡源(ますげん)」)の長男として生れ、23歳のとき、父の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名する。「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常から与えられたという。
若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。今でいう自由人というところか。
しかし、40歳で隠居し、隠居後の若冲は作画三昧の日々を送っていたと見られていたが、近年文献から分かったことは、継続的に町政に関わりを持ったようだ。
あまり目立たなかった若冲も、平成20年(2008年)美術史家にも認識されるようになった。

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若冲の墓は2つある。一箇所は相国寺の遺髪墓。ここには、藤原定家、足利義政と並んで建てられている。
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もう一箇所は伏見深草の石峯寺である。
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若冲は84歳の長寿を全うするまでに多くの名作を残したが、晩年、石峯寺の五百羅漢石像や天井画などの制作に力を注ぎ、没後、同寺に葬られた。
この墓は、のちに枡源7代目の清房が、若冲の遺言に従って、墓の横に筆形の石碑を立て、貫名海屋が碑文を書いて残されている。



この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-02-14 20:30 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi at 2012-02-16 07:10 x
早速の調査有難うございます
高倉通錦小路東南角で良いのでしょうか
相国寺のお墓は 義満 定家と並んでいるようですが 何時頃のものなのでしょうか 若冲が定家と並び称されるのは現代になってからではないのでしょうか
Commented by mo-taku3 at 2012-02-16 17:34
場所はその通りです。
相国寺は、義満ではなく義政とあります。