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京都発の日本初もの(幼稚園・小学校)

京都発の日本初もの(幼稚園・小学校)


天気が良かったので久し振りに、京都市内の散策に出かけました。
京都は東京遷都までは長いこと都だったこともあり、日本初のものが多いのではないかと常々思っていたが、以外と明治以降の初ものがあるのには少し驚きを感じている。

そこで、今回ご紹介するのは幼稚園・小学校の初ものである。

「京都市中京区柳馬場通御池上ル虎石町」というところに、公立ながら小中一貫教育の【御池中学校】というのがある。
小学校は同居はしてないが、高倉小学校・御所南小学校との一貫教育なっている。
またこれに、堀川高校も一枚かんでいるように見える(未確認)。

さて、「明治元(1868)4月に京都府となり、翌年には町組改正が行われ、上京33,下京32の65の町組が決められ,町組毎に小学校が設立された。上京27番組では同年9月仮校舎で授業が開始され,翌年5月21日中京区富小路御池角守山町に上京第27番組小学校として日本最初の小学校授業が行われた。明治6(1873)年にこの地(中京区柳馬場通御池上ル虎石町)に新築移転し,以後柳池小学校と称した。昭和22(1947)年新学制により柳池中学となる。この石標は日本最初の小学校である柳池小学校を示すものである。」と資料にはある。

さて、日本初の小学校の石碑がある場所は、「京都平安京創生館」の横にある。その前にきれいな、寒桜が咲いていた。
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桜の横をすり抜けると、このような石碑があった。
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よく見ると当時の建物が彫られている。
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更に目を移すとその横に、【柳池幼稚園の記念碑】がある。
当時は【柳池幼稚遊技場】といったらしい。ここに書かれている字は非常に難しい。
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その石碑には、開園が明治8年12月、閉園が平成8年3月とある。つい最近まで現役だったということらしい。
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更にならんで、京都市立堀川高等学校専修夜間部跡と言う石碑があった。
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文献によると「京都市立堀川高等学校専修夜間部は,戦前からのその母体として市立商工補習(夜)学校(明治45年創立)・市立商工専修学校(明治45年創立)・市立専修高等学校(昭和10年開校)が石標に記されている。昭和23(1948)年,新学制による高校再編成で市立堀川高等学校が創設され,夜間部が設置されたが,昭和54(1979)に廃止された。この石標は京都市立堀川高等学校専修夜間部の跡を示すものである。」とある。
非常に優秀な高校として京都に君臨している。
卒業生には、門川京都市長は立命、堀田力弁護士は京大法科、またかの有名なヴァイオリニストの葉加瀬太郎もここから東京芸大に進んでいる。


これらの石碑の後ろの建物には、小中一貫教育校【京都御池中学校】、御所南小学校・高倉小学校 という表示があった。
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またその左端の方に保育園の入り口もあり、市立の教育校の集まりであった。
ますます、初物を探す意欲がわいてきた。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-02-09 22:30 | 京都発の初物 | Comments(6)

Commented by toshi at 2012-02-10 07:16 x
学制発布は1872年(明治5年) 松本の開智学校も明治6年の開校で日本初の小学校を名乗っていますし 東京愛宕にある日本近代初等教育発祥の地(小学第一校・源流院跡)の碑も明治5年6月ですから此れは大発見ですね ちなみに私の母校も創立は明治5年のようですよ
栁池校の 栁は柳の旧漢字ですね 私の家内の旧姓も戸籍は青栁と旧漢字です

Commented by mo-taku3 at 2012-02-11 22:18
色々面白い発見が出てきますね。
一人だとワンショットで終わってしまいますが、掛け合いだとどんどん発見があって楽しいですね。
実は、昨日・今日と散策しました。結果家の近くの中学校二校も明治二年開校というのが分かりました。
ブログに投稿してみますので、ご覧ください。
また、伊藤若冲の旧家を聞いてみましたが、場所はわかりましたが、全く軌跡は残っていないということでした。残念!
お墓は石峰寺(大原野)にあるそうで、遺髪碑は相国寺のようです。
Commented by toshi at 2012-02-12 07:19 x
石峰寺は参拝したことが有ります 夏だったので大変なやぶ蚊に悩まされました 五百羅漢に良いものが沢山ありますよ
Commented by mo-taku3 at 2012-02-12 15:44
石峰寺は3度ほど行ってますが、なんといっても ながーい松が有名なところでした。(今どうなっているか分かりませんが)
Commented by waachins at 2015-07-19 17:54
京都の小学校の面白さは、町の人々がその子弟の学ぶ場を待ち受け、その敷地、運営費などを負担していたことです。その故に、明治元年2年に小学校を作る旨の話しがあったとき、小学校が次々と開校し、明治2年暮れまでに60余りの番組小学校と呼ばれる小学校がすべて開校したことです。ちなみに私は、第1番組小学校(現在の乾隆校)の出身です。学校には、高価な屏風絵などがあり、町の人たちの子供たちの教育にかける意欲を感じさせられます。
余談ですが、40年ほど前に京都新聞に連載された後、岩波新書の一冊になった「花洛」松田道雄著には、明倫校の小学生が毎日ではなかったが、朝礼の初めに唱えたのが「正直にすべし」「親切にすべし」等の町の教えであって忠君愛国ではなかったことなどが書かれていて、往時の町衆の力の強さを同時に感じるものです。
Commented by mo-taku3 at 2015-07-19 23:47
コメントありがとうございます。
地元の人でなけりゃあ分からない貴重なコメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。