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二条城撮影所跡

(京都)二条城撮影所跡



二条城西南櫓の横(中京区西ノ京北聖町)に,明治43(1910)年横田永之助(1872~1943)の横田商会(日活の前身)により京都初の撮影所が開設された。(現在は中京中学校の一角になる。)
この地で日本映画の父と言われる牧野省三(1878~1929)が尾上松之助(1876~1926)とコンビを組み,最初の作品「忠臣蔵」を撮影した。法華堂撮影所(上京区御前通一条下る;現在は存在しない)ができるまで2年間使われた。この石標は二条城撮影所の跡を示すものである。
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石碑には、
【歴史と文化の都・京都は,日本映画発祥の地であり,映画の都である。
世界文化遺産「二条城」の膝元であるこの地に,明治43年(1910)に横田永之助の横田商会により,京都初の撮影所である「二条城撮影所」が開設された。
この撮影所の規模はおよそ300坪の土地に2間×4間の低い板敷の舞台をしつらえ,それを開閉自由の天幕で覆うという簡単なもので,背景はすべて書き割りであったと言うが,大正から昭和初期の日本映画隆盛の一時代を築いた京都の映画産業の礎となった。
ここで,日本映画の父と言われる牧野省三が,尾上松之助とコンビを組み,最初の作品「忠臣蔵」を撮影し,実力をつけた牧野はその後,京都を舞台に数々の名作を手がけるなど,日本映画発展の基盤が作られた。
平成9年11月
京都映画100年を記念して
京  都  市 
京都市教育委員会】

と刻まれている。
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日活の前身である横田商会は、日露戦争が終結し記録映画人気に陰りが見え出したため、劇映画の制作が急務になった。
しかし、横田商会には演出に精通した人材が不足しており、1908年に映画興行で利用していた千本座の座長の牧野省三に協力を求めた。
この牧野省三は当時芝居に精通した人物であり、なおかつ千本座の役者をそのまま使える利点があったからである。牧野は期待どおり原作設定から演出・監督までその才能をいかんなく発揮した。
劇映画制作が軌道に乗った横田商会は、1910年に京都初の撮影所を二条城・西南櫓の西側、京都市中京区智恵光院通り押小路(現在の中京区西ノ京北聖町)に建設する。
当時、この一帯は一面の農地であったが、敷地面積は約300坪で板敷の舞台に開閉自由の天幕を張り、背景は全て書き割りの簡素なつくりであった。
役者達は近くの民家で着替えや化粧をして舞台に上がったという。またこの土地は、京都の侠客・千本組の笹井三左衛門の所有地であったが、牧野の義父が三左衛門の兄弟分であった縁で横田商会に貸し出されたものであるという。



この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-04-25 00:08 | (歴史)京都史 | Comments(1)

Commented by toshi at 2012-04-27 09:05 x
京都で映画と云えば太秦の東映のイメージが強いですが 日活の発祥の地なんですね 出町柳の鴨川の合流点で尾上松之助の胸像を見たことが有ります 牧野省三の銅像は 等持院の脇にありましたね 確か牧野のご自宅のようです 
それにしても二条城に撮影所が有ったとは驚きです