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二条陣屋(京都)

二条陣屋


二条陣屋は、御池通大宮通りを南に100弱下がったところにある。

二条陣屋の創建は江戸寛文年間(1661~1673年)で、350年位前になると云われている。
元々、当地において米・両替商を営む、京商人「萬屋平右衛門」の店舗併用住宅とのことである。
(米・両替商とは、武士の俸禄が米の現物支給だったので、米を貨幣に交換したり、金、銀貨を銅銭に交換したりする店を言う)
萬屋平右衛門は商人として成功を収めたのですが、創建当時は「公事師」として身を起こしたと云われている。「公事」とは今日で言う裁判の民事を意味し、公事師とは今の弁護士か司法書士にあたります。
この頃、幕府は武家諸法度、禁中並びに公家諸法度、そして1742年公事方御定書を公布し、法整備がされ始めた時代だった。
この近辺は、二条城の城下にあり、京都所司代屋敷、東西の京都町奉行、有力藩の藩邸が軒を連ねる官庁街であり、二条陣屋はその一角にあった。またその当時、奉行所は公事師の書いた訴状しか受理しなかったという。(いまでも、弁護士、司法書士の事務所は、裁判所乃至は法務局近くに多く存在している。)
裁判待ちの武士らは、都合のいい公事師の屋敷に逗留するようになり、公事宿とも呼ばれていたようである。
現存する屋敷は、豪商の邸宅として隋を凝らした意匠と身の安全を図るための防衛建築となっている。

この二條陣屋の陣屋という名称は、一般にいう大名が逗留するものではない。
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小川家のルーツを公式サイトでみると、2つの説があるそうです。
一つは、近隣に現存する菩提寺「来迎寺」の墓誌に基づき、伊予国今治(愛媛県)の領主「小川土佐守祐忠」と云われており、門前の説明駒札を初め、屋敷のパンフレット、各社のガイドブックに紹介されているが、これを証明するものは無いそうです。
ちなみに、小川土佐守祐忠は豊臣秀吉の家臣で、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは、当初西軍に与していたものの小早川秀秋に呼応し東軍に寝返り、その武功により合戦直後は領主を安堵しますが、徳川家康は主君に対する裏切りを良しとはせず、小川家の所領を没収し放逐している。
祐忠は合戦の翌年没していますが、その子祐滋(別の子で千橘とする説もある)が改名し、当地において京商人「萬屋平右衛門」として身を起こしたというものです。
もう一方の説として、大和国吉野郡小川郷(奈良県)の豪族小川氏との伝えがあります。
当家には「春日の間」という奈良の先祖を偲んで作られた部屋があり、「木薬屋平右衛門」と名乗ったときの金看板が現存します。
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現在は個人所有の住宅である。
昭和19年(1944年)国宝保存法により、現住民家では日本で2番目に国の文化財に指定された。
下の国宝は、その当時のものであろう。
しかし、昭和25年(1950年)の法改正(文化財保護法)により重要文化財となっている。
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(解説)
公事師(くじし)とは、江戸時代に存在した訴訟の代行を業とした者。出入師(でいりし)・公事買(くじかい)などとも呼ばれる。明治期に代言人制度を経て日本における弁護士制度の源流となったとされているが、現在の事件師にあたるもので、その性格や社会的評価は大きく異なる。
また、事件師(事件屋、示談屋)は俗語だが、他人間のトラブルに介入して利益を上げる人のこと。弁護士のように資格を持ってこれを行う人は含みません。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-04-25 23:01 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi at 2012-04-27 09:09 x
何故 陣屋と呼ぶのでしょうか? 前を通りかかったことは有りますが拝観不可で通り過ぎました 国宝なのに何故拝観出来ないのだろうと思いましたが 旧国宝なんですね
Commented by mo-taku3 at 2012-04-27 22:18
ここの当主が勝手につけたということらしいです。
何せ、事件屋ですから。?
今修理中ですが、修理が終わると見学はできるようになると思います。