今宮神社
平安京の北の守りである京都紫野の船岡山の、北側に位置するのが今宮神社である。
御祭神の三柱(大己貴命、事代主命、奇稲田姫命)をお祀りした神社は994年船岡山に創建され疫病を鎮めると信仰を集めていたが、都に疫病が広まったとき(1001年)、ときの天皇であった、一条天皇が疫病を鎮めるため、祭神を現在地に移し、御霊会を催されましたと伝えられている。
今宮という名称は、それまでこの地に元々あった疫神社に対する新しい宮という意味で今宮という名前が付けられた
。
4月第2日曜日に催される「やすらい祭り」は、疫病を鎮めるご利益があると言われる京都奇祭の一つです。
さて、山門の正面には広い通りがあり、下から眺めると壮大な構えである。
山門を入って右手には、神馬の厩舎がある。昔から神馬は白馬と決まっているが、今ここには、白馬は白馬だが張りぼての白馬が鎮座している。
よく見ると、なかなか愛嬌があり、見学の子供たちには好評のようである。
本社殿はよく整備されている。
本社殿お前には拝殿があり、また左手に疫社がある。
疫社の社紋は八坂神社と同じ【キュウリ】である。八坂神社も疫社であるからそうなるのだろうか。
この神社には、人気の「阿呆賢さん(あほかしさん)/神占石」がある。
座布団の上に石が置いており、これが神占石である。
神占石はどこもほぼ同じであるが、ここも願をかけてこの石を撫で、その手で体の悪いところをさすれば病気が平癒するとの言い伝えがある。
しかし、この石はもう一つの御利益があるとのこと。
この石を、三度叩いて持ち上げると大変重く感じられ、次に、この石に心をこめて、願を掛け、そして再び持ち上げた時、軽く感じられたら、その願いは叶うという事だそうである。
また拝殿の前あたりに、徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院の像がある。
京都西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川3代将軍家光の側室となった。
桂昌院は京都の寺社の復興に力を注いだといわれており、特に氏神である今宮神社の復興に力を入れ社殿を修復して四基の鉾を寄進したと言われている。
東門。これも立派である。
今宮神社東門を出たところに、2件のあぶり餅屋が向かい合わせである。
本家と元祖の争いとして威勢のいい呼び込みもあり、双方とも熱心なため、一瞬どちらに入ろうか迷ってしまう。
どちらの店も価格、餅の本数は同じで、味もあまり変わらず、結局は一緒ではないかと思うが、見ているとすんなりどちらかに行く感じはしない。
観光バスなどの駐車場に行くにもここを通るので、殆どの人が帰りはここで一服するようだ。
あぶり餅はどちらの店も、店前で手焼きをしている。
元祖;いち和、
本家;かざりや
今宮神社の名前を出すと、結局は、“あの「あぶり餅」争いの神社?”と返ってくる。
それだけ、元祖/本家争いは有名なお話である。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2012-08-18 21:47 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)
東京人にとって あの白味噌は衝撃的に感じます 香ばしく美味しいです
神社の御朱印 印は素晴らしいものが多いのですが 一般論として神社の方は筆が下手な方が多いのですが この今宮神社は大変お上手でしたよ
八坂神社も疫社ですから、同じ流れなんでしょうか?
また、BLGには載せませんでしたが、古い疫社があり、また月読社もありました。
月読社は珍しいのと、桂昌院の存在、西陣と何か面白いものが隠されているのではないかと、という気にさせます。