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【神武天皇御陵】

【神武天皇御陵】



神武天皇御陵の前に、神武天皇について少し説明したい。

神武天皇(じんむてんのう)は、日本神話に登場する、日本の初代天皇である(古事記、日本書紀による)。

『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。
神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたものである。
天皇が即位した年月日は、西暦紀元前660年2月11日と比定される。
これにより、2月11日は日本が建国された日として、明治6年(1873年)に祭日(紀元節)と定められた。
紀元節は昭和23年(1948年)に廃止されたものの、昭和42年(1967年)には建国記念の日として、祝日とされた。

さて御陵であるが、橿原神宮の北隣にある。大和三山のひとつ畝傍山の北東麓、玉砂利の参道を進み石橋を渡ると素木の大鳥居が立つ御陵に出る。周囲100m、高さ5.5mの八稜円形の御陵。
古事記には「御陵は畝火山の北の方の白檮の尾の上にあり」とあるが、ここを神武天皇の御陵と定めたのは幕末の文久3年(1863)のこと。
付近には綏靖、安寧、懿徳、孝元の各天皇陵が散在している。
ここを神武天皇御陵としたのは、後世になってからであり、元々古墳ではないようだ。
神武天皇陵に比定される前は田んぼのあぜ道に盛り上げられた土饅頭程度だったようだ。それを、幕末から明治の大修築を経て、さらに、大正年間に立派な円墳に造りかえられたという。

橿原神宮の北隣に位置する御陵の入口に、見慣れた宮内庁の説明板と石碑が建っている。「

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しばらく砂利が敷き詰められた歩きにくい参道を進むと、御陵と入口が見えてくる。
どこから見ても立派な御陵のようだ。

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御陵にしては珍しく、一枚岩をくり貫いた手水処がある。
熱さにはこれがうれしい。

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正面に鳥居があり、奥にこんもりとした林が見える。
左右を見ると緑に包まれた庭園や林が見える。

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『延喜式』によると、神武天皇陵は、平安の初め頃には、東西1町、南2町で大体100m×100mの広さであった。

神武天皇は、『古事記』に、「137歳で亡くなり、「御陵在畝火山之北方白檮尾上也」御陵は、畝傍山の北の方の白檮(かし)の尾の上にあり」と記されており、『日本書紀』には127歳で亡くなり「葬畝傍山東北陵」畝傍山の東北陵に葬ると記されている。
また、壬申の乱の際に大海人皇子が神武陵に使者を送って挙兵を報告したという記事がある。

天皇が即位した年月日は、西暦紀元前660年2月11日と比定される。これにより、2月11日は日本が建国された日として、明治6年(1873年)に祭日(紀元節)と定められた。紀元節は昭和23年(1948年)に廃止されたものの、昭和42年(1967年)には建国記念の日として、祝日とされた。







この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-08-23 11:46 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi at 2012-09-10 07:36 x
此処も 大和三山を巡るコースの途中で参拝しました 明治天皇による樫原神宮の選定にも影響を与えたであろうこの陵墓は 伝承を受け継いだのでしょうが 誰が決めたのか なんて考えると愉しくなってきます  
Commented by mo-taku3 at 2012-09-10 22:35
2世紀、3世紀の実態が少しずつですが、見え始めているようです。面白いですね。