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【紫式部のお墓】は何処に!

【紫式部のお墓】は何処に!




【紫式部のお墓】

北大路堀川下る西側、島津製作所の隣りに墓所の入り口がある。
入口の左側には、小野篁(おののたかむら)、右に紫式部の墓所の石碑ら建っている。

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細い道を入っていくと右側に盛り土の墓所が二つあり、紫式部のお墓と小野篁のお墓が並んでいるが、紫式部のお墓は、饅頭型に土盛りされており、決して立派なお墓とは云い難い質素な造りになっている。
墓石には、「紫式部墓」と刻まれているが、本当に紫式部がこの墓に眠っているかどうか分からないが、あれだけ色々なエピソードや書物を残した貴族としては寂しい気がする。

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墓石の向かい側には、角田文衞氏による紫式部顕彰碑がたてられています。

その奥には、小野篁のこれまた質素なお墓があった。

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(主な紫式部ゆかりの地)
・廬山寺(ろざんじ)。
この地は、平安時代、紫式部の父方の曾祖父であり堤中納言と呼ばれた藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)の邸宅・堤第(つつみてい)があった場所である。
紫式部は、この地で育ち結婚生活を送り、『源氏物語』や『紫式部日記』『紫式部集』を執筆したと伝えられ、境内には、紫式部とその娘・大弐三位(だいにのさんみ)の歌碑がある。
“源氏の庭”と呼ばれる白砂と苔が美しい庭も見どころ。「紫式部 邸宅址」と記された石碑がある。

・その他、石山寺、大雲寺、一条院跡、越前市など沢山のゆかりの地があるが、京都御苑内(土御門第跡、枇杷殿跡など)もある。
「土御門第跡」は、藤原道長の邸宅で、一条天皇中宮彰子が敦成親王・敦良親王を出産したと云われ、道長が「この世をば・・・」と望月の和歌を詠んだのもこの邸宅のようだ。
また、「枇杷殿跡」は、藤原道長および娘の妍子の邸宅として一条天皇・三条天皇の里内裏にあった。
皇后定子の遺児に仕える清少納言と、中宮彰子に仕える紫式部はこの里内裏で文才を競ったと云われている。

紫式部についてはいずれ掲載することもあると思われる。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-10-02 15:30 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi at 2012-10-10 08:13 x
廬山寺は 御土居巡りの途中で訪れました
御所との距離を考えると 貴族社会の中枢人物の一人なんですね 
源氏物語を書くにあたって当時貴重だった和紙を藤原道長が与えたとか 日本記の局との綽名を一条天皇が付けたというエピソードから かなり教養度の高い特権階級に属したことも推察されますが 源氏物語と云う大作を書き切るというパワーは 際立っていますね
式部と篁の墓が並んでいるというのは 二人に何か関係があるということでしょうか?
Commented by mo-taku3 at 2012-10-26 21:19
小野篁と紫式部の関係ですが、何故か小野篁の墓の隣に紫式部の墓があるのは確かです。仲良く並んで建っています。
「冥界の番人である小野篁、方や平安王朝文学、物語文学の傑作と云われる源氏物語の作者の組み合わせは、摩訶不思議な思いが伝わります。
室町時代に四辻善成が記したと云われる「河海抄」(かかい
しょう)と云う文献によりますと、それには”式部の墓は雲林院白毫院の南、小野篁墓の西にあり”との記述があり、確かに式部は源氏物語で雲林院は主人公の光源氏が参籠した所として登場させてはいるけれど、墓の真偽には疑問もあるようです。
盧山寺の紫式部碑 源氏物語には光源氏の寵愛を受ける夕顔が、物の怪に取り殺されたり、光源氏の愛人である六条御息所が正妻の葵上を取り殺すなど小野篁の領域である怨霊にまつわるであろう話もあるにはあり、関わりらしきものも見え隠れしますが、一説に、小野篁と紫式部の墓が建ち並ぶのは紫式部が狂言綺語(きょうげんきご)、ふしだらな物語を描いた大罪人で、
閻魔大王の前に引き出された紫式部を篁が取りなしたとの伝説によるものと云うのがあります。」
この程度のことしか見つかりません。