京都満足稲荷神社
東大路通の三条通と仁王門通の間にこの、「京都満足稲荷神社」がある。
ここはバスでよく通るところで、"満足”という名が気になっていた。
本神社は後陽成天皇の文禄年間に豊臣秀吉公の勧請により、 もともとは伏見桃山城に鎮座し、同城の守護神として秀吉公の崇敬篤かったという。
社名の「満足」の2字は、秀吉公が「祭神の加護にすこぶる「満足」したことに由来する」とされ、秀吉公から呼称としていただいたという。
元禄6年徳川綱吉公が伏見城の地からこの地に遷祀している。
結果、近隣の繁栄著しく、広く地方一般の崇敬を集め、 御神徳あらたかなる故をに、明治41年幣帛共進神社に指定されている。
また、満足の名を持つ神社は、東京都文京区千駄木5ー2ー8の稲荷神社の通称を満足稲荷と云う。
この呼称は、広く地方一般の崇敬を集めていたため、誰かが勧請したのだろう。
(社格) 旧村社。
(祭神)
本社 倉稻魂命(うかのみたまのみこと)
倉稻魂命とは、父神、素戔嗚命と、母神、神大市比売命との間に生まれた神。
延喜式祝詞の中に「是れ稲の霊なり」とあるように稲の精霊で、稲荷神社の社名は「稲生り(いねなり)」から「いなり」となったもの。
中世以後、商工業が盛んになると、農耕神から殖産興業神・商業神・屋敷神とその御神格が拡大し、農村だけでなく、町家にも勧請されるようになった。
稲荷神社の神使をキツネとする民間信仰は、この神が別名、御饌神(みけつかみ)と呼ばれるのでキツネの古名ケツから「みけつかみ」に「三狐神」の字を充てたことにもとづくという。(資料による)
末社 三社
大神宮社 天照大神(あまてらすおおかみ)
大国主社 大国主命(おおくにぬしのみこと)
猿田彦社 猿田彦神(さるたひこのかみ)
(年間行事)
節分祭、2月2日・3日。
初午祭、2月初午の日。
例祭、5月8日。
神幸祭、5月5日。
火焚祭、11月8日。
(文化財)
宝舟之図(橋本関雪筆)。
豊公詣満足神社文図(猪飼肅谷筆)。
以下は写真で紹介する。
東大路に面した、正面はこのようになっている。満足稲荷の石標が目立っている。
ご祭神とご利益は以下の通り。
神社の紹介駒札。
さすが秀吉ゆかりと会って、立派な「唐門と本殿」。
ここには天照大神や大国主命などが祀られている様だ。
手水舎には、リアルな龍がいた。
岩神さま。撫で石。
さすると、「よくなる・治る」の言い伝え。
これが本来の稲荷社。
色々調べてみたが、これ以上の情報が見当たらなかった。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2012-10-18 16:14 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)