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【寂光寺と本因坊】及び【本因坊発祥の地;寺町通り】(更新)

【寂光寺と本因坊】及び【本因坊発祥の地;寺町通り】(更新)


寺町通りを歩いていて、過去読んだことのある駒札「囲碁【本因坊発祥の地】」をあらためて読んでみると、先日見つけた寂光寺と本因坊の駒札を思いだいした。
そこで、この2つをドッキングすることにした。
まず、この駒札を入れると状況がはっきりしてくると思う。

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寺町通りの駒札建立記念の対局に、今村・滝口両九段名前が見える。

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寂光寺は、京都市左京区の仁王門通東大路を西に入ったところにある。
このあたりは、仏教寺院の勢力を抑えるため、時の施政者が寺院を配置転換してまとめたところと見え、多くの大小の寺院が配置されている。
(この図では、15が寂光寺)

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この寺院の表門を何度か通ったことがあるが、裏門(北門)は初めて通ったようで、「本因坊」という文字が眼に入った。
ここが、碁の「本因坊」の起源となる碁所だったようだ。
(しかし、本因坊の生誕や起源など寺町通りや木屋町でも見たような気がする。要確認!)
寂光寺は、天正6年(1578)、妙満寺(現岩倉幡枝町)26世、日淵(にちえん)上人により創建されたとある。当初は、久遠院と号し室町通出水近衛町(上京区)にあったが、豊臣秀吉の聚楽第造営のために寺町通竹屋町(中京区)へ移転。更に宝永5年(1708)、洛中に起きた大火災で罹災し現在地に移った。
当寺二世の日海(にっかい)上人は、碁を堺の仙也(せんや)老人に学んだ碁の名手で、碁所の開祖。
当時、日海には敵手なく、織田信長から「名人」の名を贈られた。
日海は塔頭の本因坊に住み、本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)と号していた。
織田信長のほか、豊臣秀吉、徳川家康などへも碁を教え、以後、本因坊の名称は碁界の家元とされ、技量に優れた者が襲名継承することになり、これが碁の「本因坊」の起源である。
なお、日海は、本能寺の変が起きる前夜も、信長に呼ばれて碁を打っていたそうだ。
本因坊は、4代道策(どうさく)のとき江戸へ移った。
寺内には、本因坊5代までの墓と本因坊碑がある。また、寺宝には、碁所の開祖の算砂の画像や関白近衛家から拝領した唐桑(からくわ)の碁盤などを蔵している。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-23 00:35 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi at 2013-02-26 08:07 x
今や 寂光寺とも切り離され 安井 井上 林との四家からも独り歩きしている感のある本因坊ですね 寺町通りの石の対局場は 無理やり表通りに置いた感じ しかも関西棋院の主催なのか 今村・滝口両棋士は全国的人気はいまひとつです...
記念館を作っても良い位 囲碁の歴史には大切な場所なのに...

この石碑の直ぐ南に 一保堂があり一服するには格好の場です

囲碁ファンには 因島の秀策記念館(&秀策墓地)の見学をお勧めします 
Commented by mo-taku3 at 2013-03-01 15:15
囲碁は全然です。
でも、関西で京都の発信というのも面白いですね。しかもお坊さんというのもね。