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京都五山第四位【東福寺】

京都五山第四位【東福寺】


東福寺の由来は、摂政九条道家が,奈良における最大の寺院である東大寺と、また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で、「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが、慧日(えにち)山東福寺です。
嘉禎2年(1236)より19年をかけて建長7年(1255)に完成しました。
工事中に相次ぐ火災のために大部分を焼失をうけたりしながらも、復興に着手し、東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。
仏殿本尊の釈迦仏像は15m、左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで、新大仏寺の名で喧伝され、足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ、東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え、兵火を受けることなく明治に至りましたが、明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失してしました。
その後、大正6(1917)年より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工、昭和9(1934)年に落成。明治23(1890)年に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。

開山は聖一国師。
聖一国師の号は花園天皇より贈られたもので,日本禅僧最初の賜号です。
円爾弁円(えんにべんえん)といい,三井園城寺の学徒として天台の教学を究め,のち,栄西(建仁寺開山)の高弟行勇・栄朝について禅戒を受け、34歳で宋に渡り,在宋6年,杭州径山の無準の法を嗣ぎ1241年に帰朝しました。
中国(宋)より帰朝にあたっては多くの文献を伝え,文教の興隆に多大の貢献をしましたが,また水力をもって製粉する器械の構造図を伝えて製麺を興し,今日,わが国最大のお茶の生産地となった静岡茶の原種を伝えています。


中大門。
東福寺に入るにはこの他、南大門・北大門・六波羅門などがある。

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臥雲橋。
東福寺三名橋の一つ。ここから眺める通天橋は、紅葉の絶好のポイントとなる。

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通天橋。
仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた橋廊で、天授6年(1380年)に春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる。昭和34年(1959年)台風で崩壊したが2年後に再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリートとなった。

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三門。
応永32年(1425年)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古のものである。上層に釈迦如来と十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門である(「五間三戸」とは正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味、「二重門」は2階建ての門だが、「楼門」と違い、1階と2階の境目にも軒の出を作るものを言う)。

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本堂(仏殿兼法堂)。
明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成した。入母屋造、裳階(もこし)付き。高さ25.5メートル、間口41.4メートルの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のもの。天井の竜の絵は堂本印象筆である。本尊釈迦三尊像(中尊は立像、脇侍は阿難と迦葉)は、明治14年の火災後に万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作である。

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禅堂。
貞和3年(1347年)に再建された豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂である。

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方丈。
明治23年(1890年)の再建。正面前庭にある唐門は明治42年(1909年)に造営され、昭憲皇太后より下賜されたものである。庭園は近代の造園家、重森三玲によって昭和13年(1938年)に作庭され、方丈を囲んで四方に配される。釈迦成道を表現し、八相の庭と命名されている。鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基本とし、これに近代芸術の抽象的構成をとり入れた枯山水庭園である。

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通天橋と通天橋受付。
この橋を渡りながら、紅葉を眺められる。

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五社成就宮(京都府有形指定文化財)

東福寺三門の東側に石鳥居があり、その間の石段を上ったところに五社成就宮があります。
五社成就宮は東福寺の鎮守社として岩清水八幡、賀茂、稲荷、春日、日吉の五社を祀るので五社明神社ともいわれているが、もとは法性寺の鎮守と伝えている。
摂政藤原忠道在世の頃はその祭礼を総社祭と称し、祇園会にも匹敵するほどの華やかさであったという。
総社祭は東福寺の鎮守社になってからも引き続き行われ、寛元元年(1243)8月22日には九条道家をはじめ右大臣実経や左大将忠家などが参列したといわれている。

五社大明神の石鳥居をくぐり、石段を中ほどまで上がった左手に十三重石塔と、そのかたわらにある小さな祠の中に「魔王石」があります。

石鳥居。

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参道の石段。

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立派な本殿だった。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-01-31 17:30 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)