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【沖縄】①首里城公園

【沖縄】①首里城公園


首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあった城。
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)であった。
戦前は正殿などが国宝であったが、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。
1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。
1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になった。

首里城の創建年代は明らかではない。
近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代(沖縄本島では14世紀に入ると、各地で城(グスク)を構えていた按司を束ねる強力な王が現れ、14世紀には三つの国にまとまった。南部の南山(山南)、中部の中山、北部の北山(山北)である。)には中山の城として用いられていたことが確認されている。多分、13世紀末から14世紀のグスク造営期に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと考えられる。尚王朝の 尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城を王家の居城として用いるようになった。同時に首里は首府として栄え、第二尚氏においても変えられることはなかった。

太平洋戦争中の沖縄戦において日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる。(今も、龍潭池には、地下壕の入り口や弾痕などが確認できる)さらに日米両軍の激しい戦闘で、首里城やその城下の町並み、琉球王国の宝物・文書を含む多くの文化財が破壊された。

他の日本の城とは異なり、首里城は中国の城の影響を大きく受けている。
門や各種の建築物は漆で朱塗りされており、屋根瓦には初期は高麗瓦、後に琉球瓦(赤瓦)が使われ、各部の装飾には国王の象徴である龍が多用された。
また、戦乱のない琉球王朝時代に再建されていることもあり、軍事目的よりも政治の中心地としての役割を中心にして設計されている。城郭は他のグスク同様、琉球石灰岩で積み上げられている。

私は、地下駐車場から直接守礼門に向かったが、正面はこのように花で飾られ、きれいに整備されている。

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首里城は外郭と内郭からなり、御庭(うなー)と呼ばれる広場に面して立つ正殿・北殿・南殿・奉神門などの建物は内郭に集中している。内郭には瑞泉門、漏刻門など九つの門が、外郭には歓会門、久慶門など四つのアーチ門があった。瑞泉門には「龍樋」という名の泉があり、龍の頭の形をした銅製の樋から水が流れ出している。ここには「中山第一甘露」の石碑があり、中国の使臣が残した碑刻がある。

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ここ首里城だけではなく、「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」が世界遺産に登録されている。

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守礼門は修理中で会ったのは残念だった。(これは提示してあった写真)

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木曳門及びここ歓会門を抜ける。

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瑞泉門、左に冊封七碑のひとつ(復元)。

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広福門。

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漏刻門からは、東方面に海を見渡せる。

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漏刻や日時計で時間を計測していた漏刻門。

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本来の木造建築として復元された建物は正殿および書院・鎖之間のみである。

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久慶門抜けると正殿の奉神門がある。

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沖縄美人がポーズを作ってくれました。

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中に入ると正装のお兄さんがこれもポーズを作ってくれた。

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正殿をバックに、私の写真も撮ってくれました。

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王の居住する中心部は正殿(せいでん)と呼ばれ、別名「唐破風」(からふぁーふー)と呼ばれた。
旨い事、人が居なくなったのをみはらかって正殿を見事にキャッチ。

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正殿の中には一階と二階の両方に御差床(うさすか)という玉座が設けられ、二階の御差床の上には清国皇帝から贈られた扁額が飾られていた。沖縄戦で全て失われたが、康熙帝の贈った「中山世土」(ちゅうざんせいど)、雍正帝の贈った「輯瑞球陽」(しゅうずいきゅうよう)、乾隆帝の贈った「永祚瀛壖」(えいそえいぜん)の三つの扁額が本人の筆跡や落款を再現した上で復元され飾られている。
正殿裏側は「御内原」(うーちばる)と呼ばれる私的な生活空間に当たる。王の住む「二階御殿」が再建されているほか、王妃らの寝室があり国王以外の男性は入れなかった「黄金御殿」、王位継承の儀式を行う「世誇殿」などかつて存在した建物の復元のための発掘や建設工事がすすんでいる。

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ガラス張りで、遺跡が見られる。

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玉座。
後ろには、清国の乾隆帝の贈った「永祚瀛壖」(えいそえいぜん)の三つの扁額が本人の筆跡や落款を再現した上で復元され飾られている。

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王冠(実物の1.2倍のレプリカ)

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大切な行事はこのように行われる。清国時代の紫禁城を思い起こされる。

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太平洋戦争の沖縄戦の日米両軍の激しい戦闘で、首里城やその城下の町並み、琉球王国の宝物・文書を含む多くの文化財が破壊された。
その修復工事がおこなわれてきて、石垣も石道も修復の結果がはっきりとわかる

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ここは地下駐車場につながる通路。
ちなみに、駐車料金は2Hで310円とはびっくり(安い)。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-26 12:01 | (城郭)全国のお城 | Comments(2)

Commented by toshi at 2013-03-08 07:03 x
お一人で行かれたのですか? 赤いベルトが似合いますね
首里城は 戦いのための城ではなく 儀礼の場であったと読んだことがあるような気がします
穴太に負けぬ素晴らしい石垣(城壁?)ですね
Commented by mo-taku3 at 2013-03-08 21:15
夫婦で行きました。
3日間で400km以上走りあちこち行きましたが、家内はあまり疲れずリラックスできたようです。
お城は3つ行きましたが、お堀は無いようで、石垣は急勾配でした。中国、朝鮮スタイルのようです、