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【沖縄】③斎場御嶽(南城市)

【沖縄】③斎場御嶽(南城市)


御嶽とは琉球の神話の神が存在、あるいは来訪する場所であり、また祖先神を祀る場でもある。
地域の祭祀においては中心となる施設であり、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。

斎場御嶽は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。
 御嶽の中には、六つのイビ(神域)がありますが、中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも首里城内にある建物や部屋と同じ名前をもっています。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すものでしょう。
 はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめました。その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任式である「お新下り」でした。斎場御嶽は、琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り」(アガリウマーイ)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。

斎場御嶽は、この南城市歴史学習施設「緑の館・セーファ」から入場し、この施設で事前の知識を得ることができる。

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御門口(ウジョウグチ)。
御嶽内へ入る参道の入り口です。右側には、六つの香炉が据え置かれていますが、これは内部にある拝所の数を示すものです。
ここも、遥拝所になっており、ここより先には特定の人しか入れなかった。
琉球の信仰では神に仕えるのは女性とされるため、王国時代は完全に男子禁制だった。現在でもその多くが一定区域までしか男性の進入を認めていないらしい。

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この日は天気もよく、非常にいい眺めだった。

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途中の道脇には、春を呼び起こすように可憐な花が咲いていた。

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寄満(ユインチ)。
寄満とは、王府用語で「台所」を意味しますが、貿易の盛んであった当時の琉球では、世界中から交易品の集まる「豊穣の満ち満ちた所」と解釈されています。

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三角岩。
斎場御嶽のシンボルであり、静けさの漂う場所。
半三角形の洞門の奥の光が射し込んでいて独特の雰囲気があります。
洞門は約1万5千年前におこった地震の断層のズレからできたと言われている。
正面に見える三角形の突き当りが三庫理(サングーイ)、右側がチョウノハナの拝所で、首里城と同じ名前を持っている。

チョウノハナの拝所。
「貴婦人様お休処」といわれ、したたり落ちるのは「吉凶」を占う霊水。

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正面に見える三角形の突き当りが三庫理(サングーイ)。

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久高島遥拝所。
久高遙拝所(クダカヨウハイジョ)
珊瑚石の積み上げられた石段のようになっており、また、木々が生い茂り絡み付いてそのまま伸びている。
今も、いつもお祈りに来る人が絶えないという。
この日も地元の親子連れがお参りに来ており、拝み方を教えていた。

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琉球開闢七御嶽
琉球の神話では、日の大神(天にある最高神、日神、天帝)が開闢の神アマミキヨ(アマミク)に命じて島作りをさせた。
アマミキヨはこの命を受け、沖縄本島を作り、そこに9つの聖地(出典「中山世鑑」)7つの森(出典「聞得大君御規式の次第」)を作ったとされる。
現在では、アマミキヨによって作られた聖地のうち7つが、琉球開闢七御嶽として語り継がれ、琉球の信仰においてもっとも神聖な御嶽として位置づけられている。
このうち王国の祭政一致体制において最重視された御嶽は、斎場御嶽である。
聞得大君の就任式などはこの御嶽で行なわれた。
現在の斎場御嶽からは、アマミキヨ降臨の聖地である久高島が遥拝できるが、これは王国時代の史料には記録されていない。また国王就任に際しては、君手摩(きみてずり)が安須森御嶽に現れ、5つの御嶽を順に巡り、最後に首里真玉森御嶽に現れるという。
以下、アマミキヨが作ったとされる順番に列記する。
  安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土
  クボウ御嶽:今帰仁村今帰仁グスク内
  斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
  薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
  雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城グスク内
  クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
  首里真玉森御嶽(しゅいまだむいうたき):首里城内
このうち、首里真玉森御嶽は沖縄戦と首里城改築工事による整備で失われており、県によって敷地内への侵入は禁止されている。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-26 14:00 | 国内旅行全般 | Comments(2)

Commented by toshi at 2013-03-11 07:18 x
書き込んで頂いた名称が 全く頭に入りません...
アマミキヨが 何やらアマテラスに通じるような気もします
Commented by mo-taku3 at 2013-03-11 10:42
いつからの伝承の神話か定かではありません。
でも万国似たような神話が多いですよね。
おっしゃるとおり、これもそうかもしれません。