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【沖縄】⑧古の王国の今帰仁城

【沖縄】⑧古の王国の今帰仁城(なきじんじょう)


今帰仁城跡とは、沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスク(城)である。
世界遺産にも登録されたグスクは、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で約1時間30分の距離だが
、美ら海水族館から行ったので20分くらいの道のりであった。

今帰仁城跡の歴史
今帰仁城跡の歴史は古く13世紀までさかのぼる。
正確にいつごろに誰によって築かれたかは、現時点では不明。
今後発掘調査が進むにつれ解明されることを期待している。
三山時代
14世紀の中国の史書に琉球国山北王「(はにじ)」「(みん)」「(はんあんち)」の三王が登場する。
この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山併立の時代」だった。
北山王は沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていた。しかし1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになった。
監守時代
北山の敗北後、中山は北部地域の管理とし監守を設置し、1422年以後監守の居城としてこのグスクを利用した。
しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上し、監守が住まなくなった。
以後は御嶽とし精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れるようになった。
監守時代以降
監守が首里に引き上げたとされる1665年以後の今帰仁村は精神の拠り所として崇拝されてきた。
現在でも今帰仁城跡には火神の祠があり、その時代を垣間見る事ができる。

今帰仁城に着くとお城の入口とはかなりはなれたところにチケット売り場があり、休憩所もある。
そこから歩いて300mくらいでこの入口に着く。
ここには世界遺産登録の石碑が置かれていた。

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石碑の前には、今帰仁城以外の沖縄全体のグスクが紹介されていた。

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またすぐ横は広場のようになっているが本土のお城の外堀に当たるところのようだ。、

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平郎門
平郎門は今帰仁城の正門で、その名称は「琉球国由来記」に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」として登場している。
現在見る門は、昭和37年(1962)に修復されたもので、左右に狭間があり、門の天井は大きな一枚岩を乗せた堅牢なつくりとなっている。

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狭間。門番のスペース?

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七五三の階段
平郎門から大庭まで続く参堂は戦前に地元民によって桜の植栽とともに直線道に整備されます。
戦後まもなく米軍の車両が城内へ登ることから、戦災文化財の修理として文化財保護委員会の指導のもと、今見る階段の整備が行われた。

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主郭
大庭の東にある一段高くなった郭を主郭と呼んでいる。
主郭には多くの礎石が現存し、桜の植樹のためか、一部移動させられている石もあるが、かつての建物の形がいくらか想像できる。
1982年から4年間発掘調査が行われ、発掘調査の結果13世紀終わりころから17世紀初め頃まで機能していたことがわかった。

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外郭
昭和50年、沖縄海洋博覧会の工事の進む中、石垣が積まれた箇所の発見があった。
これが城郭の一部であることが確認され、昭和54年12月28日に国の史跡として追加指定された。
高さは2メートル前後と比較的低い石垣が延長数百メートル蛇行して続いている。
石垣で囲まれた空間を外郭と呼んでおり、最近更に調査が行われ、外部の整備が進められている。

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大庭
平郎門からまっすぐ伸びた七五三形式の階段を登りつめると開けた広場に出る。
ここは大庭(ウーミヤー)とよばれ、南側には南殿があったと推定され、北の一段高くなったところが北殿跡とされている。
その建物の跡と見られる礎石が今も残っている。

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ここには非常に珍しい、黒檀(コクタン)の木があった。本島に珍しい。

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御内原
北殿跡の北側、一段高いところを御内原と呼んでいる。
ここは、かつて「女官部屋」があったといわれているところ。
城内でも崇高な場所とされ男子禁制の御嶽テンチジアマチジがある。
北端からの眺望は城内で最もよいところで、大隅一帯の石垣をはじめ今帰仁村全域、伊平屋・伊是名の島々、国頭の山並麓、晴れた日には遠く与論島が眺められ、海を眼下に見ることができる。

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ひとまずグスクを見終わって戻ると、「今帰仁村歴史文化センター」がある。
そこには今帰仁の歴史がよく分かる展示がなされている。
ここで分かったことは沖縄の人たちの苗字が、土地名でつけられていることであった。

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少し写りは悪いが、夕日の写真が展示されていたので撮らせていただいた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-27 12:00 | (城郭)全国のお城 | Comments(2)

Commented by toshi at 2013-03-12 07:14 x
今帰仁を なきじんと読むのは 北海道のアイヌ語の当て字とは違うのでしょうね 地理的には福建語なのでしょうか 使われている石が鋭利で本土の城壁のような大石が無いようにも見えます
Commented by mo-taku3 at 2013-03-12 07:59
言葉については現時点で判りません。機会を見て調べてみます。
また、石については運よく写してきたものがありますので、別項に追加で載せますのでご覧ください。