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【真名井神社】(元伊勢「籠神社」の外宮)

【真名井神社】(元伊勢「籠神社」の外宮)

資料によると、
「古代丹波の最高神である豊受大神(天御中主神又は國常立尊とも云う)を氏神として戴いて当地方に天降られた天照國照彦火明命は、大神様をお祭りするのにふさわしい神聖なところとして、常世の波の寄せる天橋立のほとりのこの地をお選びになりました。
こうして名勝天橋立の北端真名井原に御鎮座、第十代崇神天皇の時に天照皇大神の御霊代が當宮にお遷りになり、吉佐宮と申して豊受大神と御一緒に四年間お祭りされました。元伊勢の御由緒の起こりです。
天照皇大神は人皇十一代垂仁天皇の御代に伊勢国伊須須川上へ御遷宮になり、豊受大神は人皇二十一代雄略天皇の御代に至るまで當地に御鎮座あらせられ、同天皇の御代二十二年に伊勢国度会郡の山田原に遷らせられました。」
とあり、天照大神の二つ目の宮「久志濱宮(くしはまのみや)」があった所とのことであった。

籠神社の奥宮 眞名井神社は、別名を久志濱宮(くしはまのみや)とも云う。〝くし〟とは霊妙なる不思議なパワーの源を意味し、この地に神代の昔、豊受大神が天降られ、五穀と養蚕を丹波地方に伝えられた。
この丹波という地名は豊かに稔る田を豊受大神がご覧になって、『あなにえし田庭!』(なんとすばらしい田の庭よ!)とよろこばれた事から名付けられ、水気根源、五穀豊穣の大神として崇敬が厚い。

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この石碑には、真名井神社の由緒が彫られているが、建立当初は上部に籠目紋(六芒星)が刻まれていた。
一説によるとこれは籠神社の裏神紋らしいが、籠目紋は「ダビデの星」とも呼ばれ、イスラエルの国旗にも描かれているマークであったため大騒ぎとなったらしい。その紋が描かれていた真相は不明である。

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二の鳥居とその前には、通常ありえない狛龍が左右に鎮座しており、謂れも書かれていた。

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本殿である。内宮に比べて粗末な昔ながらの造りである。

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養老三年(719年)以前の本宮がこの眞名井神社で、本殿の裏に磐座(いわくら)[社殿が造られる以前の斎場] があり、豊受大神、天照大神を始めとする神々が祀られている。
遠い上代より人々の純真な祈りが捧げられ、あたりは清らかな空気に包まれた聖地である。磐座の前に佇む時、誰もが大きな神気に圧倒される。

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境内には天の眞名井の水というご霊水が滾々(こんこん)と湧き出ている。社伝によると、このご霊水は、三代目祖神(そじん)天村雲命(あめのむらくものみこと)が高天の原(天上の神々の住む世界)にまいのぼり、琥珀(こはく)の鉢に天上のお水を持ち帰って、やわした(合わせた)と伝えられるご霊水である。 霊験あらたかなこの眞名井の水を汲みに、近隣府県はもとより全国各地から訪れる人が絶えず、眞名井神社は知る人ぞ知る日本最古のパワースポットなのである。

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二の鳥居の手前直ぐ横には、ユースホステルがあった。

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来るときはあまり目に入らなかったが、道の途中からは「天の橋立が望め、また梅も咲いていた。

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伝聞・異聞
時は昭和十三年、大本教信者の辻天水氏と三雲竜三氏の両名が真名井神社に参拝した際、三雲氏が突然神懸かり状態となりました。
辻氏が審神を行ったところ、三雲氏に降りたのは真名井神社の眷属の龍神であることが判明しました。それ以後、真名井神社の龍神は昭和十八年にに至るまで神示を伝達し続けました。
これが有名な『龍宮神示』です。
神示の内容等については割愛しますが、真名井神社の龍神が神示を伝達した事に因んでか、参道には狛犬ならぬ狛龍が睨みを利かせています。(同様の狛龍は籠神社の末社、稲荷神社にもありますが、それは稲荷神社が近年真名井神社から籠神社へ移されたからです。)




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-20 12:40 | (寺社)京都の神社・仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi at 2013-04-12 09:14 x
天照皇大神 豊受大神 何れも何処からこの地に遷座されたのでしょうか 何故この地に 両神が合流されたのでしょうか 何かが有ったのでしょうね 
Commented by mo-taku3 at 2013-04-13 09:21
天照皇大神は神武(崇神)天皇の大和征服の神話を立てられた神のようで、以前から祭られていたのは出雲神や豊系(トヨ;神宮皇后・応神天皇系)、元々の地元神(山岳信仰)などなどの上に天照皇大神系をかぶせたような形になっているようです。
例えば、賀茂神社は国が上賀茂神社を作って出雲神を薄めて国管理にしたり、大和の大神神社の守護神の三輪山を出雲神を持ってきて祟りを鎮めたり、数えたらきりがありません。
色々な神社の頭に伊勢神宮を持ってきて、伊勢への遷宮という形で従属させようとした意図が見えます。
この明治時代もそうですが、そのときの権力者は、宗教・教団をコントロールすることに腐心していたようです。
さて、伊勢神宮の外宮に居る豊受大神は、天照大神を祀った後、世の中に異常が発生し、当時としては祟りを鎮めようとの考えで、後から外宮に豊受大神を鎮座させたようです。
医学・科学の進歩以前は、災害・不幸・疫病などは祟りと受け止め、過去抑圧した氏神を祀り直して鎮めようとした結果がこのような動きになったと思われます。
少し長くなりましたがお許しください。