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平安京の王城鎮護社【岡崎神社】2013

平安京の王城鎮護社【岡崎神社】2013


この神社は平安京ができたときと同じくして王城鎮護の社の一つとして建てられたようだ。
そのためか、天孫族の素盞鳴命(すさのおのみこと)が主祭神となっており、櫛稲田媛命(くしなだひめのみこと)と御子(三女五男)八神も祭神として合祀されている。

以下は資料による説明である。
「岡崎神社は、丸太町通の東端し、吉田山(黒谷)の南麓に鎮座する。794年、桓武天皇の平安京遷都に際し、同年、王城鎮護のため都の四方に建てられた一つとされ、東方を守護したころから東天王社と称したとされているが、877~885年この地に陽成天皇の母である藤原高子が清和天皇の護願寺として建立した東光寺があり、東天王社はその鎮守社として祀られたとも言われている。
王城鎮護の神はその後、子授けの神として信仰を集める。
東天王社はもともと北白川の地で祀られていたが、810~824年の社殿の炎上後、869年播磨国広峰(兵庫県姫路市)から改めて牛頭天王(素盞鳴命)を勧請して現社地に祭祀した。
その後、牛頭天王は感神院(現八坂神社)に移し祀られている。
さらに室町幕府八代将軍足利義政による修造があるなど、朝廷や幕府の庇護を受け、中世には東光寺と東天王社は一体となり隆盛したが、応仁元年(1467)の兵火で炎上し東光寺が廃寺となり東天王社のみが残された。更に1531年の兵乱で岡崎一帯が焼亡、東天王社も廃埃したが岡崎村の産土神として再建されている。
東天王社は古くから産土神として附近の氏子、崇敬者の信仰を集めていたが、1178年、中宮のお産の奉幣を賜ったことから安産の神として信仰される。
また当時、岡崎村一帯は野兎が多く、東天王社は兎が氏神様のお使いとしている。
兎は多産なことから、子授けにご利益があるとして、境内の手水舎や狛犬の台座に兎の彫刻が見られる。また、往時の王城鎮護方除けの勅願により方除厄除神として信仰される。」
と伝えられているが、1531年の兵乱で焼滅しているので、王城鎮護の目的も薄れ、岡崎村の産土神として守られてきたのではないだろうか。
王城鎮護はそれなりのバックアップがないと成り立たないと思う。
ということで、狛うさぎが崇められてきたのは産土神としてほほえましくさえ感じる。

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本殿の前には、狛犬と狛うさぎが仲良く並んで鎮座している。

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狛うさぎは、「縁結び、夫婦和合」とあり、ご利益の説明がなされていた。

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本殿の周りは堅固な石垣で囲まれており、しっかりとした造りである。

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境内は緑に包まれ、落ち着いた雰囲気をかもし出していた。
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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-04-23 10:25 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)