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春の【南禅寺】2013

春の【南禅寺】2013


南禅寺は何度も登場させているの詳しい説明は省略させていただくが、1467年の応仁の乱における市街戦で伽藍をことごとく焼失してからは再建も思うにまかせなかった。
南禅寺の復興が進んだのは、江戸時代になって1605年金地院崇伝が入寺してからである。
崇伝は徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり、「黒衣の宰相」と呼ばれた政治家でもあった。また、幕府から「僧録」という地位を与えられた。
これは日本全国の臨済宗の寺院を統括する役職である。
既にご存知の方も多いと思うが、禅寺の伽藍配置はほぼ同じで、三門(山門)を頭に一直線にならんでいる。

と、その前に南禅寺塔頭の聴松院「大聖摩利支尊天」の狛イノシシを再度拝んでおこう。

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三門。現在のは、藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進したものであり、残念ながら、石川五右衛門の時代は無かったわけです。

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額縁から見た、新緑の法堂への参道。

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法堂の天井に描かれた、禅寺特有の龍図。

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苔庭では新芽がふきはじめてきていた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-04-23 13:32 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(3)

Commented by toshi at 2013-04-26 06:50 x
南禅寺は広いですね 南禅院 金地院の庭が大好きで行けば必ず足を運びますが 聴松院は知りませんでした 次回の愉しみが増えました
狛猪も結構彼方此方にあるんですね
Commented by mo-taku3 at 2013-04-29 14:21
「摩利支天」は干支と関係があるんでよね。
なんでこれだけイノシシかわかりませんが、調べてみる価値がありそうですね。
Commented by mo-taku3 at 2013-04-29 14:44
イノシシとは別に、資料には、
「摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したものである。
陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。
これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。
護身、蓄財などの神として、日本で中世以降信仰を集めた。
楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。
また、毛利元就は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。
山本勘助や前田利家といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。」
イノシシが出てくるのは、和気清麻呂が大隅半島に流された際賊に襲われそうになった時、イノシシに助けられたとありました。(護王神社)これだけです。
不思議なのは、皇統を守った和気清麻呂の名誉を回復したのが、孝明天皇だったというのが何なんでしょうかね。