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久々の『法隆寺』は修学旅行生で一杯

久々の『法隆寺』は修学旅行生で一杯


法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られている。
その創建の由来は、「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747)の縁起文によって知ることができる。
それによると、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、その実現をみないままに崩御されたという。
そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺)であると伝えてられている。

現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。
広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、ものすごい数の宝物類が伝えられている。
国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいる。

このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、とくに1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めている。

法隆寺は、日本最初の文化世界遺産に登録された、価値の高い遺産であるといえる。
最近の調査状況からいうと(色々異説が唱えられているが)、日本最古級の寺院であることは確かである。

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境内の伽藍配置図には、西院伽藍と東院伽藍とが区別して描かれている。
これは何を意味しているのだろう?

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この日は、たくさんの小・中・高生の修学旅行生が押し寄せてきている感じで、平日の空いている時を狙ったのが外れてしまった感があった。

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中門の前から西院伽藍がよく見え、美しい姿をしている。
中門内の左右に塑造金剛力士立像を安置している。
日本最古(8世紀初)の仁王像として貴重なものであるが、風雨にさらされる場所に安置されているため、補修が甚だしく、吽形(うんぎょう)像の体部は木造の後補に代わっている。また、像そのものが非常に汚れたように見える。
この門は現在、出入り口としては使用されず、金堂等の拝観者は回廊の西南隅から入ることになる。

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西院伽藍の中に入ると修学旅行生で一杯で、こんな状態である。
五重塔の一画が開放されおり、そこからは小さな涅槃像を見ることができるが、凄い行列である。
五重塔の隣にある「金堂」。ここは、入母屋造の二重仏堂である。
堂内は中の間、東の間、西の間に分かれおり、それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置しているが、公開はしていない。

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奥の大講堂には薬師三尊像(平安時代、国宝)と四天王像(重文)を拝顔することができる。

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大講堂を出ると直ぐに鐘楼がある。あまり目立たないが造りが昔のスタイルを引き継いでいるのか、珍しい形であり、独立していない。

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金堂の上層部には部屋はなく、外観のみである。 二重目の軒を支える四方の龍の彫刻を刻んだ柱は構造を補強するため修理の際に付加されたものだそうである。

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聖霊院。
西院伽藍の東側に建つ、聖徳太子を祀る堂。鎌倉時代の建立。
この建物は本来は東室の一部であったが、1121年にこれを再建するときに南半を改造して聖霊院とし、聖徳太子像を祀った。現在の聖霊院は1284年に改築されたものである。
聖徳太子及び眷属像(平安時代、国宝)、如意輪観音半跏像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)を安置している。

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東室・妻室。
奈良時代の建築で、当時の僧坊建築の遺構として貴重である。

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厩戸皇子の厩戸。
聖徳太子はここで生まれたといわれ、別名厩戸皇子とも呼ばれている。

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食堂(じきどう)(奈良時代、国宝)および細殿(ほそどの)(鎌倉時代、重文) 西院伽藍の東方北寄りに建つ。食堂本尊の薬師如来坐像(重文)は奈良時代の塑像だが、補修が多い。
本尊以外の仏像は大宝蔵院に移されている。

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東大門。これも国宝である。
西院から東院へ向かう道筋に建つ、奈良時代の八脚門である。

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夢殿。
奈良時代の建立の八角円堂。堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する。
聖徳太子が住んだ斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といわれている。
その中心となる建物がこの夢殿である。
八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、その周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)なども安置している。
この夢殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える聖徳太子を供養するための殿堂として、神秘的な雰囲気を漂わせている。

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西円堂(国宝) 。
西院伽藍の西北の丘の上に建つ八角円堂。鎌倉時代の建立。
堂内の空間いっぱいに坐す本尊薬師如来坐像(国宝)は、奈良時代の乾漆像。本尊台座周囲には小ぶりな十二神将立像(重文)、千手観音立像(重文)を安置する。

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鐘楼の横にこの梅の木があった。
また、正面に貫禄のある古木があった。“法隆寺”という感じだ。


夢殿から、中宮寺にも足を伸ばしてきた(別BLG)。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-06-18 13:18 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi at 2013-07-02 07:30 x
初めに聖徳太子建立の若草伽藍が有り 焼失の後現在の西院伽藍が少し角度を変えて若草伽藍の上に建てられ 行信が東院伽藍を建立という歴史になるのではないでしょうか 四間の中門の造りを聖徳太子の怨霊を寺内に封じ込めるためと論じた梅原猛の説に胸躍らせた記憶が鮮明です 江戸時代に金堂の屋根を支えるために付け加えられた支柱を支える猿を撮りたくて ズームレンズを買い替えました 夢違観音とこの猿を観にもう一度訪問を考えています
Commented by mo-taku3 at 2013-07-02 22:18
私も中をくまなく見たのは20数年振りと思います。
法隆寺は、現在の伽藍配置の解明や、聖徳太子が実在したか等、興味のある事案が沢山あり、私も非常に興味があります。
暇を見て文献を調べてみたいと思っています。
しかし、世界遺産になることで随分きれいになりましたね。私は違和感を感じますが。