額縁の庭園などで有名な『宝泉院』(大原)2013
三千院の前を通り過ぎ、勝林院を前に川沿いを左に進む細い道を行くと、宝泉院の標識がある。
道の傍らには、法然上人が腰掛けたと伝える「法然上人腰掛石」があり、その右手奥になる。
宝泉院の門で800円(抹茶・お菓子付)を払って入山。
瓦葺の門をくぐるり、右が現在の玄関となる。
玄関を上がり真っ直ぐ客殿へ進み庭を眺めていると、抹茶と菓子が運ばれてくる。
宝泉院の見所は何といっても額縁庭園である。
客殿の奥に座ると景色が一番美しく見えるという。左右の柱、鴨居、敷居を四角の額縁に見立て、その奥に見える庭園を「額縁庭園」といわれている。
西の額縁庭園は、緑の美しい楓と竹林。今は緑一色だが、秋には楓が紅葉して美しさが増幅することだろう。南の額縁庭園は樹齢700年余り、見事に手入れされた五葉の松を見ることができる。客殿から見えるこの庭の名は「盤桓園(ばんかんえん)」といい、立ち去りがたいとう意味らしい。
盤桓園(ばんかんえん)南方の五葉ノ松西庭の広縁そばの水琴窟があり、竹筒に耳を当てると澄んだ優しい音色が楽しめる。
広縁に出て天井を見ると、血痕があちらこちらに残る「血天井」である。
説明によると、慶長5年(1600)7月、伏見桃山城での出来事。城の留守居をしていた鳥居元忠(もとただ)ら1800人は、小早川秀秋ら4万人の軍勢に攻め込まれ陥落、元忠は自刃したという。
徳川家康は、忠義を尽くした元忠の志を仰ぎ見ることが最大の供養として、血痕の残る床板を、家康に縁のある京都の複数の寺に移している。その一つが、この宝泉院の血天井である。
客殿を出ての廊下の上に立派な大名籠がある。
明治時代の住職で声明の大家である深達僧正が、音律を調べるために愛用したサヌカイ(木の化石)で作られた美しい音が出る木琴が置いてある。これは弾かせていただける。
瓦葺の門をくぐるり、真っ直ぐ行くと旧玄関で、正面に五葉の松を見ることができる。奥には旧玄関のその前に大きな石があり、傍に「法然衣掛け石」とある。
客殿から見える五葉の松の庭園の他に、立派な庭園が別にある。
宝泉院は、大原寺(勝林院)住職の坊として平安末期の寿永2年(1183)にはじまるが、現在の建物は形式からして江戸時代の初期とされている。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2013-06-22 11:29 | (仏閣)京都のお寺 | Comments(3)
上賀茂神社の石橋が木の化石というのとどうも混乱していたみたいです。ありがとうございます。
時々テレビで紹介されるので何時も混んでる感がありましたが、この時期の平日は結構空いています。
今年はもう三回訪れています。