人気ブログランキング |

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある


西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区にある仏教寺院。浄土真宗本願寺派の本山である。
西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」、宗教法人としての名称は「本願寺」である。
京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれている。
真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」・下京区)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。
文永7年(1272)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建されたがその後比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した。

この門は「御影堂門」といい、日光方式を取り入れたのか、立派な飾りのある門である。

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある_e0237645_23382815.jpg


これは、唐門であり、日本3大唐門(豊国神社、大徳寺の唐門、ここ西本願寺)の一つである。

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある_e0237645_2339961.jpg


低く横に伸ばしたイチョウの木かある。
(真っ直ぐ上に伸ばした大きなイチョウ木が2本シンボルとしてある。

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある_e0237645_23392242.jpg


この日は団体で奉仕活動をしている姿が見られた。

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある_e0237645_2340486.jpg



堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある_e0237645_2340250.jpg


西本願寺には、一般公開しない『飛雲閣』がある。
これは、金閣、銀閣と並んで、日本3大閣の一つで、聚楽第を移設したものと言われている。
また鐘楼も見事な装飾を施しており、他に例をみない。
鐘楼が見えたので近づいて見て、その立派さに圧倒。
説明の駒札もあった。

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある_e0237645_23404464.jpg

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある_e0237645_23404690.jpg

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある_e0237645_23413064.jpg

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある_e0237645_23413995.jpg


聚楽第の名前を聞いて、遺跡があったことで当時の面影を垣間見ることができた。
また、この飛雲閣は、4月に特別公開されるとのことである。



この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-06-28 10:31 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(4)

Commented by toshi at 2013-07-10 06:59 x
お西さんは 一度か二度はお参りしていますが 写真のように飛雲閣を遠目に見るだけで 余り印象が残りません 
飛雲閣は聚楽第の遺構との説も有りますが 確か確証はなかったのではないでしょうか そもそも聚楽第は秀次切腹の後 何故跡形もなく取り壊されてしまったのでしょうか 山口先生の考証をお聞かせください
Commented by mo-taku3 at 2013-07-11 23:57
飛雲鶴の建物が聚楽第の遺構との確証はないようですね。
唯一、大徳寺の唐門(非公開)が遺構とされているようです。
ということは、一部でもこのように存在しているということは、飛雲閣もということは十分考えられるでしょう。
資料には、次のように載っています。
「聚楽第の建造物の多くは伏見城内へ移築されたとされる。なお、西本願寺の飛雲閣、妙覚寺の大門、妙心寺播桃院玄関など聚楽第から移築されたという伝承がある建造物も少なくないが、いずれも伝承の域を出ず、今のところ研究者の間で聚楽第の遺構と認められている建造物は唯一2003年の修理の際に飾り金物から「天正」の銘が発見された大徳寺の唐門だけである。 廃却後、聚楽第縁辺にあった聚楽町に住んでいた住民は町ごと伏見城下に移転させられたといわれ、現在も京都市伏見区には聚楽町の地名が残っている。同区内にはこのほか聚楽第ゆかりの「(東・西)朱雀町」「(上・下)神泉苑町」の地名が残る。」
Commented by toshi at 2013-07-12 09:02 x
伏見城の遺構は高台寺に移築されていますね ひょっとするとその中のどれかが聚楽第(我々はじゅらくだいと教わりました)から再移築されているのかもしれませんよ
Commented by mo-taku3 at 2013-07-12 23:33
当時は儒教も入っていない節操のない時代ですから、何が起きていたかは、資料がない中わかりませんよね。