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下鴨神社大炊殿(おおいどの)特別公開①

下鴨神社大炊殿(おおいどの)特別公開①


下鴨神社の由緒:
西暦紀元前の崇神天皇の時代(BC90年頃)に神社の瑞垣の修造が行われたという記録があるといわれている。ただ、神社が出している幾つかのパンフレットに記載されている具体的な創祀年は、何故か一定していない。細かいことは抜きにしても、創祀は有史以前に遡るほど古いらしい。
社殿が造営されたのは西暦450~500年頃といわれているようであるが、天武天皇6年(677年)とするのが確からしい。
延暦13年(794年)に桓武天皇が平安遷都のため、当神社に行幸されて以来、皇室との繋がりが強くなったといわれている。平安京遷都以降は皇城鎮護の神、賀茂皇大神宮と称せられるようになり、大同2年(807年)には正一位となり伊勢神宮に次ぐ地位が与えられ、伊勢神宮と同様、齊王(さいおう:神社に奉仕する未婚の皇女)がおかれたという。

この神社の正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」であるが、通称名である「下鴨神社」のほうが一般にはよく知られている。

今回紹介する「大炊殿」「御井」とも、平安時代の「鴨社古図」にも書かれている古い建造物で、いずれも重要文化財に指定されている。現存する建物は寛永5年(1628年)に造り替えられたものという。

「大炊殿」特別公開中の看板を見て、入ってみることにした。

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「大炊殿」「御井」の特別公開に当たり、唐門がある。
唐門(重文)、江戸時代、1628年建立、唐破風屋根、欄間に葡萄の紋様があり、葡萄門ともいわれる。門をくぐる人をお祓いする意味がある。古くは、エビカズラ(野生の葡萄)といい、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国から逃げ帰った時、追いかけてきた鬼に、髪飾りを投げつけるとエビカズラの実に変わったという。

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唐門をくぐって左手には色々なお宝が展示されていた。
ここでは、明治天皇が幼少の頃、乗馬の訓練に使用した木馬が置いてあった。
それ以外にも葵祭の行列の絵図などもあった。

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また、向かいには摂社の「三井神社」、その横には諏訪社などの末社が据えられている。
摂社・三井(みつい)神社(重文)、江戸時代、1628年建立、祭神は東殿(右)に、伊賀古夜日売命(いかこやひめのみこと)、中殿に賀茂建角命(かもたけつみのみこと)、西殿に玉依日売命(たまよりひめのみこと)。
 『山城国風土記』逸文には、「三柱の神は蓼倉里(たでくら、たてくら)の三井社に座せり」とある。山城国蓼倉の「三身社(みいのやしろ)」とは当社であるという。三井ノ神社(みいのやしろ、『延喜式』)ともいわれた。本殿祭神の若宮になっている。合祀、摂社・日吉社(中殿)(重文)、祭礼は3月7日。

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末社・愛宕社(おたぎのやしろ)(東社、右)の祭神は火産霊神(ほむすびのかみ)、古くは賀茂斎院御所の守護神として、御所内に祀られてたという。古名は、魚介鳥類を調理する贄殿(にえどの)神、酒を調理する酒殿神、器物の奈良殿神。
稲荷社(西社、左)、祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、五穀豊穣を司る神。古名は専女社(とうめのやしろ)。賀茂斎院御所内の忌子女庁屋(いんこのめのちょうや)の守護神として、庁屋の池庭の中島に祀られていた。ともに、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失している。その後、両社を相殿として祀られた。

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くぐり戸を抜けると右側に双葉葵やカリンの木が自生する「葵の庭」、「カリンの庭」がある。

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井戸の「御井(みい)」(重文)は、神饌の御水、若水神事などの御水の祭事が行われている。井筒(井戸屋形)の上に上屋の井戸屋が設けられている。
御井の前には「水ごしらえ場」、式内末刀社(まとのやしろ)の祭神が降臨するという石(橋)がある。12月12日に御薬酒神事、若水を汲む古代様式の神事が行われる。

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大炊殿(おおいどの、大炊所)(重文)は、神饌のための御料を煮炊き、調理するところ。
大炊殿の入口の土間には竈があるが、見た目には随分綺麗であり、最近改修されたものと推測される。
流し台や用具類なども時代を経過した迫力を感じさせるものがないように思える。
(大炊殿の内容については、②で詳しく述べる。)

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「唐車」である。駒札にあるように、屋根の作りが『唐破風』(からはふう)になっているのでこう呼ばれたとある。最も格式の高い牛車だそうである。

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更に奥には、ハイカラな馬車がおいてあった。
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何れにしても、神社のなかでこの種の建築物が現存するのは極めて希で、貴重な社殿であるという。下鴨神社を訪れたときは見学しておきたい社殿である。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-06-30 10:00 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi at 2013-07-23 08:05 x
私も以前一度拝観していますが 明治天皇の木馬位しか記憶にありませんでした 葵の庭は観光客用に無理に造作したような印象でしたが... 此方の若水は 多分東大寺のお水取りの原形なのでしょうね 
Commented by mo-taku3 at 2013-07-24 01:42
行かれたことがあるんですね。
私は初めてでしたが、ここは結構楽しんできました。