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西山宮門跡『善峰寺』は日本一の松(天然記念物)

西山宮門跡『善峰寺』は日本一の松(天然記念物)

西国33ヶ寺の20番札所ということで、以前に回ったことがあったが、今回は約30年振りの訪問ということでお寺がどんなに変わったかと思いつつ、行ってみると全く記憶が蘇ってこないほど変わってしまっていた。
こんなに境内が広かったかな?こんなところに天然記念物の松があったのかな?等々、今でも思い出せないほどの変化があったのではないかと思う。

善峰寺は、比叡山の僧源算が長元2年(1029年)にこの地に小堂を建て、十一面千手観世音菩薩像を刻み本尊としたのが開基と伝えられている。意外と新しい。
長元7年(1034年)に後一条天皇から善峯寺の寺号を賜り、鎮護国家の勅願所と定められた。以後、天皇の崇敬篤く、長久3年(1042年)には後朱雀天皇が鷲尾寺の十一面千手観世音菩薩像をここに移し、本尊として祀り、先の観世音菩薩像を脇立とされたといわれている。
鎌倉時代には慈円大僧正や浄土宗西山派の祖、証空上人が、また、青蓮院の宮様が代々当寺の住職をされたので西山宮門跡と称されたという。
更に、白河天皇が諸堂を建設し、後に、後花園天皇が伽藍を改築、大いに栄えたが、応仁の乱により、これら全てを焼失したようである。
その後、元禄年間に徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院の寄進により寺は復興したとされている。


さて、駐車場から「山門」に繋がる階段の上ったところに、「日本一の松(天然記念物)遊龍」の石碑が立っている。

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更に、かなり急勾配の石段の参道を上がると、大きな「山門(仁王門)」が眼前に現れる。
山門の前の広場が小さいこともあるのか、山門が大きく目に映る。
現存の山門は元禄5年(1692年)桂昌院によって再建されたものといわれ、山門両脇の金剛力士像は運慶の作というブランドものである。

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善峰寺縁起の書かれた「駒札」が山門の前に掲げられている。

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山門をくぐって進むと、正面に観音堂(本堂)がある。
この奥に安置されている本尊、千手観世音菩薩は仁弘法師の作とされ、脇立の千手観世音菩薩は源算上人の作という。何故、開基である源算上人の作とされる仏像が本尊にならず脇侍になったのか、これはおそらく後朱雀天皇の意向によるものであろう。

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ここでお参りをすませて、御朱印帳に記帳していただく。
今回は家内も一緒に出掛け、ここでお守りを2つ買う。

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つりがね堂である。
撞くことができたので、願いを込めて撞いてきた。
この「つりがね堂」は貞享2年(1685年)の建立とされ、桂昌院が徳川綱吉の厄除けのため寄進されたことから、厄除けの鐘といわれている。

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いよいよメインイベントである。
つりがね堂の後ろには、天然記念物「遊龍松」が見えている。
護摩堂を過ぎて階段を上ると遊龍松の石碑がある。昭和7年に天然記念物に指定されたとある。
「遊龍の松」の樹齢は約600年とされているが、全伽藍が焼失したとされる応仁の乱(1467-77年)の直前に植えられたようである。
とにかく、「見事!」という 感嘆詞にぴったりである。

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見事な姿をじっくり眺めていただく。

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経堂。祈願成就の絵馬堂である。桂昌院が鉄眼の一切経を納める。

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300年前からの幸せを招く幸福地蔵。

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青蓮の滝。滝の竿石は、青蓮院門跡より拝受したもの。
壁には、石仏不動明王が祀られているのが見える。

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「開山堂」横を通り、一寸した坂を上り多宝塔の北側に当たる小高い場所に出ると、善峰寺の再興に力を尽くした「桂昌院廟」が建てられている。
この廟には宝永2年(1705年)6月に79歳で他界した桂昌院の遺髪が納められているという。当時としては長命である。

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この「薬師堂」は元禄14年(1701年)の建立で、桂昌院の両親が祈願したという出世薬師仏を祀っている。
これは桂昌院が「玉の輿」に乗ったのにあやかっての若い女性参詣者も多いそうだ。

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高台にあるこの寺から見た京都の景色。
「薬師堂」や「蓮華寿院庭」のある場所は善峰寺の境内で最も高いところであり、天候がよければ京都市内まで望むことができる。

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境内を一回りしてきた。この暑い35℃を超す中では、かなりきついものがあったが、遊龍松を見たときは、暑さも忘れていたように思う。
秋の紅葉もよさそうなので、また出かけてみたいと思っている。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-08-13 16:04 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(3)

Commented by toshi at 2013-08-15 07:47 x
地図で見ると 長岡京から更に奥 感覚的には京都郊外 江戸期以前にこの寺に行くのは可也大変だったでしょうね こんな山奥に随分大きな伽藍があったようで 建立の費用も維持費も莫大であったのではと変な処に感心してしまいます 鉄眼の大蔵経の話は初めて知りました 昔は教科書に載っていたとありますが拓さんはご存知でしたか? 桂昌院は京都の出身でしたね 市内ならともかくこのような山奥の寺に寄進する徳川の財力に興味が移ります 松は高松栗林公園の松が一番と思っていますが 遊龍松も見事ですね 最後の写真の絶景は是非自分の眼で味わいたいですが すっかり膝に自信が無くなり尻込みしそうです
Commented by mo-taku3 at 2013-08-18 01:10
善峰寺は懐かしいお寺です。手元の朱印帳を調べてみると、前回行ったのは昭和56年7月26日でした。22年振りということになります。
色々見て回りましたが、全く記憶が繋がってきませんでした。
とにかく感想は、こんな立派だったかなぁ?という思いです。
多分この頃は、律令体制が出来上がってきたと思いますので、国庫の懐はある程度しっかり見込めたのではと思います。
桓武天皇の側近(中納言)で造長岡京使だった藤原種継が暗殺されましたが、遷都には大きな反対があったようで、その首謀者が早良親王で廃太子となった経緯があったようですが、多分真相は早良親王は関係ないと思います。
南都六宗の勢力が不気味ですが、遷都も大きな要素だったでしょう。春日大社の分霊など、藤原氏の息のかかった寺院が西山を占めるのは、コントロールの効く宗教政策の一つだったと思います。宗教を制するものが時の権力者になるというか、それが仕事だったんでしょう。
鉄眼道光さんは初めて聞きました。教科書の記憶も残念ながらありません。
Commented by mo-taku3 at 2013-08-18 01:13
(続き) また、桂昌院が熱心なのは、両親の影響のようです。
両親がお玉(桂昌院)の開運出世の祈願が成就したことで、桂昌院もお礼参りしたようです。
ここは青蓮院との関係も大いにある様で、青蓮院宮の御廟もあり当山の住職も務めていたようです。
松は、びっくりするほど絶品です。是非一度!眺めもいいですし。