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業平(なりひら)寺とも呼ばれる、京都大原野の『十輪寺』

業平(なりひら)寺とも呼ばれる、京都大原野の『十輪寺』


「十輪寺」は、京都市西京区大原野小塩町にある天台宗の古刹寺院である。
嘉祥3(850)年、文徳天皇が染殿皇后の安産祈願のため伝教大師作の延命地蔵を安置したのが起こりとされている。
平安時代初期の貴族・歌人である在原業平(ありはらなりひら)が晩年閑居したとされており、塩竈やお墓が残されている。
ここは、業平寺とも呼ばれている。

さて、お寺に入るにはこのようなくぐり戸を潜り抜ける感じである。

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境内の緑がきれいに整備されている。「なりひらもみじ」なるものもある。

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本堂:
創建当時の伽藍(がらん)は応仁の乱で焼失しており、現存のものは寛延3年(1750)に再建されたものである。
屋根は鳳輦形(ほうれんがた)という御輿をカタチどった非常に珍しい形で、内部天井の彫刻も独特の(手前が神社風で、奥側が寺風)意匠が施されている。文化財に指定されている。
普段は秘仏としているが、毎年8月23日に御開帳している。

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方向指示に沿って、業平のお墓と塩竈へ。

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業平が焼いたという塩竈。
平安時代の歌人・在原業平は、当時、勢いを増してきた藤原氏に抑えられ、政治的には不遇の日々をおくっていたようだが、50歳過ぎからこの十輪寺に住み始めており、業平にとって、この大原野の里は美しい自然と静かな環境に恵まれ、心を癒すのに都合が良かったと思われる。
当時、貴族の風流な野遊びの一種に塩焼きを実践していたようである。
業平は、境内の小高い丘に塩竃(しおかま)をもうけて、煙をたなびかせていたという。

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在原業平のお墓。
在原業平は、父が平城天皇の皇子である阿保親王、母は桓武天皇の皇女である伊都内親王である。
天長2年(825)に誕生、元慶4年(880)5月28日、56歳で死去している。
十輪寺では毎年、命日にあたる5月28日、業平をしのぶ「業平忌三弦法要」 を行っている。
本堂横の細い道を登ると、見逃しそうな小さな石塔と出会う。それが業平の墓である。
本当に見逃しやすい場所にある。
現在、この墓は恋愛・結婚成就にご利益があるとされ、多くの女性が訪れているとのこと。

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庭園(三方普感の庭)や極彩色の襖絵なども。
寛延3年(1750)、右大臣藤原常雅公が本堂再興したときに造られたもので、高廊下、茶室、御殿の三ヶ所から、場所を変え見る人に様々な想いを感じさせる、”心の庭”とも言われている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-08-22 22:26 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi at 2013-09-02 08:08 x
塩釜と云えば 河原の大臣 源融を想い出しますが 業平の塩釜は 大原野ですよね 一体塩水は何処から運ばせていたのでしょうか
何とも優雅と云うか贅沢と云うか... 
Commented by mo-taku3 at 2013-09-03 23:14
源融のことは知りませんでした。今度調べてみます。ありがとうございます。
この地域を“小塩”と呼ばれるゆえんだそうです。