京都大雲院『祇園閣』特別公開と五右衛門の墓
「ねねの道」の北の突き当たりに大雲院がある。
祇園祭の鉾をモデルにしたひと際高い、「祇園閣」が道から見え、これが目印となる。
さて、大雲院は、もとは浄土宗知恩院に属していた寺であったが、現在は浄土教系の単立寺で龍池山と号している。通常は非公開の寺だが今回は特別公開だったのでお邪魔してみた。
大雲院とは、織田信忠公(織田信長嫡男)の法名の大雲院を寺号としている。
大雲院はその後、豊臣秀吉が寺域の狭いことを憂い天正18年(1590)寺町四条南に移転し、さらに島津以久(ゆきひさ:日向国佐土原(さどはら)城主)の帰依を受け栄えたが天明(1781~)・元治(1864)の大火で焼失している。
さらに明治初期(1868~)に復興したが、今度は寺域周辺が商業・繁華街化したため昭和48年(1973)に現在の地へ移転した。
本堂の裏(西側)にある祇園閣は、高さ36メートル、鉄筋コンクリート造りの三層建。
建物は祇園祭を模した鉾の形で、鉾先には金鶏が取り付けられている。
塔の最上階には平和の鐘が架けられ、一層には阿弥陀像が安置されている。
一層から三層への通路壁面には、中国・敦煌莫高窟に描かれている壁画を模写した壁画が描かれている。
境内の一角には、島津以久が寄贈した鐘楼がある。
本堂にある本尊は、阿弥陀如来坐像で、如来の着衣は通肩で、六丈(約3メートル)と大きい。
残念ながら撮影はできなかった。
祇園閣背後の墓地には、織田信長、信忠父子碑の他、島津以久、画家の望月玉川・富岡鉄斎、さらに大盗賊の石川五右衛門などの墓がある。
門の奥に見えるのは島津以久一族の墓が見える。
織田信長・信忠親子の墓。
石川五右衛門の墓。これは本物らしい。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2013-09-23 23:03 | (仏閣)京都のお寺 | Comments(2)
まだまだお宝が京都にはありそうですね。