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『姫路城』 平成の大修理とは

『姫路城』 平成の大修理とは



姫路城は、45年振りの本格修理が行われている。
姫路市のアナウンスでは、
「姫路市では平成21年10月に姫路城大天守の保存修理工事を開始しました。
これは、昭和39年に完了した解体復元工事から45年が過ぎ、漆喰壁をはじめ上層部の軒やひさしに傷みや汚れが激しくなってきたため、本格的な修理を行うものです。
昭和の大修理時は全面解体の大規模な修理でしたが、今回は漆喰の塗替えや破損瓦の取替えなどを行います。
国宝であり世界文化遺産である大天守の保存修理工事は、長期にわたる大規模なものとなります。そこで、学識経験者などを中心とする姫路城大天守保存修理検討会(会長・多淵敏樹神戸大学名誉教授)で工事の方針や工事期間中の見学者への対応などについて検討し、次のとおり基本方針を定めました。
姫路城大天守保存修理事業基本方針
・世界遺産であり、国宝である姫路城大天守の外壁および屋根瓦の補修と耐震性能評価に基づく構造補強などの保存修理工事を実施します。
・世界遺産の大規模な改修工事ということから、現場は原則公開とし、文化財の保護、保存修理に対する啓発やPRを行うとともに、世界遺産姫路城の価値を広くアピールします。
・工事期間中は、大天守を完全に覆う形で素屋根をかけ、作業を行います。
・工事用の資材や機材などは、大天守東の美術館側から搬入。腹切丸東側から資材搬入用の足場を設置して、備前丸まで直接運び入れます。」
とあった。

数日前、テレビで修理状況と修理個所の見学について放映されていたので、早速出かけてみた。
土曜日ということもあり、駐車場も混雑していたが何んとか停められて、お城へ急いだ。
幾つか入場門があるが、桜門橋を通り大手門と言われている「桜門」から入場した。


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桜門橋を渡るときお濠を一周する“和船”の観光船が通過するところだった。乗ってみたかったが、時間がなかったので来年に先送り。

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門をくぐると正面に修理中の天守閣が正面にみえる。

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天守閣が見える大きな公園を過ぎて、お城への入場口がある。

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入口の前には、お城の全景が描かれている。壮大な城郭である。

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入場して右手に天守閣がある。
天守閣に近づくとこのような工事用のアーチがある。

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近づくに従って見学者が並んでいる。
エレベータに乗るには30分待ちということだった。

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エレベータに乗ると、天守閣側が見えるようになっており、工事の状況がよくわかる。
随分大掛かりな工事のように見える。
この部分が8Fで天守の屋根である。すでに、鯱は据えられていた。

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7Fには階段で降りられ、二層目まで見ることができる。
新聞でも報道されたようだが、最上階の向かって左側に窓がもう一つあったのが今回八消されたとのことであった。塗りつぶした理由は耐震構造上の理由からとのことであった。

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下りのエレベータにも沢山の人が並んでいたので、反対側の景色を眺めれたのでそれを見た。

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天守閣の正面はこのようになっているが、もう遅くなったこともあり、並んでいる人は少なかった。

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それではここからは見学した際のトピックスを載せてみることにする。

お菊井戸。
播州皿屋敷
浄瑠璃などの元となったと言われるが、原型となった話は現在の姫路城ができる以前のものと言われる。本丸上山里内に「お菊井戸」が残る。(色々な説があるが、信憑性が高いらしい。)

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この写真は天守閣7Fから見た瀬戸内方面で、小豆島が見えている。

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男山にある「千姫天満宮」。資料には、
「姫路城には千姫が居たが、千姫はいつもこの男山にある千姫天満宮拝んでいた。
千姫は天神(天満宮・菅原道真)を信仰しており天神の木像を祀っていた。
1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で秀頼が自害し千姫は寡婦となるが、その翌年、1616年(元和2年)には本多忠刻(本多忠政の嫡男。徳川四天王の一人忠勝の孫)と再婚し、1617年(元和3年)に忠刻が姫路に移封されると、千姫は本多家の繁栄を願い1623年(元和9年)3月に男山に天満宮を建立し6枚の羽子板を奉納した。
千姫が生活していた姫路城西の丸から拝礼出来るように東向きに造営されており、千姫は長局の廊下から拝礼していたと伝わる。
千姫が奉納した羽子板に肖って絵馬は羽子板の形になっており、麓の店で販売している。また、切手を貼れば郵便物として郵送も可能。」

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最後に紹介するのは、『天守の庭』である。
1956年(昭和31年)より天守大修理に着手することとなる。
この時、羽柴秀吉が城主だった頃築かれた天守の礎石や石垣が地下から発見された。
これが、三の丸に移設展示されている築城当時の礎石である。

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*姫路城の歴史(資料より)
姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。
江戸時代以前に建設された天守が残っている現存12天守の一つで、ほぼ中堀以内の城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。
1993年(平成5年)にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。この他、「国宝四城」や「三名城」、「三大平山城・三大連立式平山城」の一つにも数えられている。
姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。
一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子(黒田官兵衛ゆかり)による築城を最初とする説もある。
戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。
江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視のために西国探題が設置されたが、城主が幼少・病弱・無能な場合には牽制任務を果たせないために城主となる大名が頻繁に交替している。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代(赤松氏から数えると約530年間、13氏48代)が城主を務めた。
明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第10連隊が駐屯していた。
残念ながら、この際に多くの建物が取り壊されたが、陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などが名古屋城と共に国費によって保存される処置がとられた。
昭和に入り、太平洋戦争において姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残している。
昭和の大修理を経て、姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められ、祭りや行事の開催、市民や観光客の憩いの場になっているほか、戦国時代や江戸時代を舞台にした時代劇などの映像作品の撮影が行われることも多く、姫路市の観光・文化の中核となっている。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-11-03 16:00 | (城郭)全国のお城 | Comments(3)

Commented by toshi at 2013-11-05 07:42 x
此処も大行列ですね...千姫の廓は私も見た記憶がありますが 細長い廊下の奥で狭い部屋だったような記憶がありますが...
天守の屋根だけでも 工事中に観る価値は有りそうですね
Commented by mo-taku3 at 2013-11-06 01:13
記憶通りです。
工事の模様は見る価値は十分あると思います。
年内はやってるようですので、是非お出かけください。
Commented by mo-taku3 at 2013-11-06 01:14
いつもコメントありがとうございます。
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