下鴨神社で有名な、鴨社/鴨族のルーツは「奈良県御所市」にあった。

下鴨神社で有名な、鴨社/鴨族のルーツは「奈良県御所市」にあった。


金剛山の東山麓は開けた段丘上の斜面をなしている。弥生時代に、この斜面に住み着いて陸稲や稗、粟などの畑作農耕に従事した集団がいた。鴨族と呼ばれる一族で、阿治須岐託彦根(あじすきたかひこね)神を祀った。「阿治須岐」とは、美しい農具で開墾することを表す形容詞である。このことから、阿治須岐託彦根神を開拓者としての歴史的祖先、または農耕生産の神として崇めたものと思われる。御所市の字鴨神の地に鎮座する高鴨神社は、この神を祭神とする神社である。

弥生中期ごろに、その集団の一部が葛城山と金剛山の谷間が開ける平坦地へ降りてきて、そこで水稲耕作を営むようになった。彼らは田の神である事代主(ことしろぬし)神を祀った。この神を祭神とする神社が鴨都波(鴨都味波八重事代主;かもつみはやえことしろぬし)神社であり、一般には高鴨神社の上鴨社に対して下鴨社とよばれている。

後世に伝えられる鴨族は、後に賀茂族と表記されるようになる。
その出自を求めると、神武天皇東遷の時、烏に化けて天皇を熊野から大和へ道案内した賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)に行き着く。
鴨族は大和を平定した後の論功行賞で、神武天皇はその功に対して厚く報償したという。
そのときから賀茂建角身命を八咫烏(やたがらす)と称するようになった。『山城国風土記』逸文には、賀茂建角身命が葛木山の峰から山代国に移ったと記す。『日本書紀』では、八咫烏の子孫が山城国の葛野に住む鴨県主(かものあがたぬし)であるとしている。

京都には、古代山城国に移り住んだ鴨(賀茂)族が祀る有名な神社がある。
葵祭りで知られる上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)である。
上賀茂神社は、賀茂族の氏神で、祭神として賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)を祀る。
この神は葛木山の峰から山代国に移った賀茂建角身命の娘・玉依媛(たまよりひめ)命と山代の乙訓(おとくに)社の雷神との間に生まれた若き雷神であったと伝える。
単に賀茂神社といえば、この上賀茂神社を指す。
一方一説には、下鴨神社は奈良時代の頃新しく作られた神社で、上賀茂神社の祭神の賀茂別雷大神の母である玉依姫とその父の賀茂建角身命を祀る。
しかしこれは、多分に違うように思われる。
下鴨神社が先にあったのだろうと思われる。しかも鴨氏の前から存在していたであろうと思われ、以前は出雲族の神社であったようであると推測している。


【高鴨神社】
高鴨神社(地図)境内には、楓が多い。
秋なので紅葉が美しい。
鳥居をくぐると左手にちょっとした池があり、その池を見下ろす丘の上に社殿が建っている。
古代、葛城山麓に住んでいた人々は、鴨族と呼ばれる。
霊力の強いシャーマン的な一族だったようで、カモはカミと同源で、鴨も賀茂も後世の当字と考えられていると伝えられている。
ある時代の、祭祀と託宣の二大勢力は、鴨君と三輪君だった。
そういう鴨族の聖地が高鴨神社で、一帯の地名も、そのものずばりの「鴨神」である。

葛城の地では、高鴨(上鴨)葛木御歳(中鴨)鴨都波(下鴨)の三点セットになっていて、弥生時代中期に、上鴨から低地に下りて水稲耕作をはじめた一団が、それぞれの鴨社を中心に村落を形成したと考えられている。有史前からの一族なのだろう。

やがて経済力・軍事力を蓄積するようになり、その面で頭角を表わした集団が葛城氏を名乗って、朝廷内に有力な地位を占めた時代もある。
しかし、葛城氏は雄略天皇に滅ぼされ、その後台頭した物部氏も蘇我氏と対立して滅ぼされる。

神武天皇にはじまる原初ヤマト王朝は、鴨族と結んだ葛城王朝だったが、それが九代で終ってしまう。
乗っ取ったのは、十代・崇神天皇以降の三輪王朝だ、というのである。
鴨の神様たちは、朝廷と一定の距離を置き、反骨(ときどき偏屈)の徒として生き続けたのかもしれない。

神社前の池をはさんで「葛城の道歴史文化館」があって、こちらの紹介でも「大和朝廷が成立する以前」というような文言がある。高鴨一帯の鴨族の末裔は、今も歴史時代以前の歴史を誇っているかのようである。

e0237645_2026288.jpg


e0237645_20273013.jpg


e0237645_2027477.jpg


e0237645_2028214.jpg


e0237645_20273880.jpg


e0237645_20282429.jpg


e0237645_20284156.jpg



【葛城坐御歳(みとし)神社】
祭神   大年神、高照姫命

『中鴨社』である。本殿の背後に御年(みとし)山という美しい神体山があり、金剛山の扇状地にひらけた稲田を守護された神である。
御神名のトシは穀物、ことに稲をさす古語で、稲の神として古くから知られ、朝廷で豊作祈願のために行われた年頭の祈年祭(としごひのまつり)には、まず御歳神の名が読みあげられた。

『平成祭礼データの神社由緒』によると、以上のことの意味は、人々が、「土」とのかかわりあいにおいて、稲作する時、その耕作に役立つ午(うま)等(農耕器具等の生産手段)を大切にし、心を清くして、農耕等(如何なる仕事においても)をすべきことを、教えたものである。 このことを、別に解釈すれば人と「土」(自然)とのかかわり方の方法等を、教えたものであり、自然との結合、人と人との結合(陰陽和合)をたたえたものと解釈できる。

古代における朝廷でも、祈年祭には、この御歳神社にだけ、白猪・白馬・白鶏を、献上されたとされる。
この御歳神社では、昔は、祈年祭の前日の二月二日、今では、五月三日に、御田祭りが執り行われ、諸々の神事と共に参詣者には、杉葉を守札に包んだ蝗除け等の護符を配布している。
なお、古書の記録では、仁寿二年(八五二年)には、正二位の神位を授かり、延喜の制では、名神大社に列した神社として尊ばれた古社である。

現在は、残念ながら鴨社三社の中では元気はなさそうではあるが、ここを守る若奥様が台風で傷んだ箇所の手入れに忙しくしていたのが印象に残っている。


e0237645_20301457.jpg


e0237645_20294642.jpg


e0237645_20304523.jpg


e0237645_20301756.jpg




【鴨都波神社(鴨都味波八重事代主神社) 】

鴨都波神社が御鎮座されたのは、飛鳥時代よりもさらに古い第10代崇神天皇の時代であり、奈良県桜井市に御鎮座されている「大神神社」の別宮とも称されている。
祀られている神様は、「積羽八重事代主命」(つわやえことしろぬしのみこと)といい、大神神社に祀られている「大国主命」(おおくにぬしのみこと)の子どもにあたる神様である。
国を守る農耕の神様として大変崇められ、宮中に祀られている八つの神様の一神でもある。
また、一般的には「えびす神」という呼称で、商売繁盛の神様でもある。
そもそもこの葛城の地には、「鴨族」と呼ばれる古代豪族が弥生時代の中頃から大きな勢力を持ち始めた。
当初は、「高鴨神社」付近を本拠としていたが、水稲農耕に適した当社付近に本拠を移し、大規模な集落を形成するようになったようだ。
そのことは、当社一帯が「鴨都波遺跡」として数多くの遺跡発掘によって明らかになっている。
鴨族は先進的な優れた能力を発揮して、朝廷から厚く召し抱えられたこともあった。
そのような「鴨族」とのかかわりの中から誕生した当社は、平安時代には名神大社という最高位に列せられた由緒ある名社である。

e0237645_2031760.jpg


e0237645_2032885.jpg


e0237645_20313912.jpg


神農薬祖神社があり、社務所には、御所市医師会の看板が掛けられている。

e0237645_20324284.jpg


e0237645_20321798.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-11-09 12:53 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi at 2013-11-19 23:12 x
鴨族 葛城族を追いかけていくと 矢張りここにも「出雲」の陰が出現しますね 益々出雲への疑問が膨れ上がります 
Commented by mo-taku3 at 2013-11-20 00:05
出雲のルーツはやはり島根県ではないように思ってきました。
もう少しつながっている糸を手繰って行こうと思っています。
出雲の陰がちらちらするのですがどこかで抑えてはたたりで復活を繰り返していますよね。