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東福寺の紅葉・・・塔頭も見事でした。

『東福寺』の紅葉・・・塔頭も見事でした。


京都の紅葉のメッカ、というか、誰でもが知っている定番の『東福寺』に行ってきました。

このお寺の前を走る「鳥羽街道」から続く参道はすごい人波で、また海外・国内を問わずバスできている団体も含め、特に入門付近は行列となって、ごった返していた。
出足も遅れたことのあり、東福寺の紅葉のスポットの中には入らずじまいで、周辺を攻めてみることにした。

幾つかの塔頭も秋の特別公開をしており、それらも含めてご紹介したい。

【東福寺】
多分皆さんもご存じとは思うが、摂政の九条道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺である。
嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成している。

工事半ばの寛元元年(1243年)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ,まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備したが,元応元年(1319年)、建武元年(1334年)、延元元年(1336年)と相次ぐ火災のために大部分を焼失してしまった。
しかし、延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し,貞和3年(1346年)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ,延元の火災以降実に20余年を経て,再びよみがえっている。
建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられおり,再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなったようである。
仏殿本尊の釈迦仏像は15m,左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名で喧伝され,足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ,東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え,兵火を受けることなく明治に至っている。

明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失したが、その後,少し間をおいて大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9年(1934年)に落成した。
明治23年(1890年)に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の粋を遺憾なく発揮している。
また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっている。

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塔頭【最勝金剛院】
最勝金剛院(さいしょうこんごういん)は、九条家の墓所を管理する非公開寺院のようだが、秋には特別公開し、長い参道付近が紅葉に色付いて、東福寺を訪れた観光客にもお馴染みの場所となっている。
最勝金剛院は、東福寺創建以前に遡る由緒ある寺院の名を継いでいる。
現在の東福寺のある地域一帯は、平安時代中期の延長三年(924)に関白藤原忠平が氏寺として法性寺を建立した場所だった。

代々の藤原氏は法性寺の造営に努め、平安末期の藤原忠通とその子兼実の頃に全盛期を迎えた。
当時の法性寺は、現在の東福寺の約5倍という広大な寺域(南北は稲荷山~東福寺周辺、東西は鴨川~山科に至る)に多くの大伽藍を構えている。
最勝金剛院は、久安六年(1150)、この法性寺の山内東方一帯に、摂政藤原忠通夫人・宗子が建立した塔頭寺院で、法性寺山内で最大の面積を誇った寺院だった。
しかしその後、法性寺は鎌倉時代初期には衰退して、嘉禎二年(1236)に摂政九条道家(九条兼実の孫)は、法性寺跡地に19年の歳月をかけて東福寺を建立した(建長七年(1255)完成)あと、最勝金剛院は、東福寺に吸収されてその塔頭となり、代々の九条家に継承されたが室町時代に衰退している。

現在の最勝金剛院は、九条家一族の墓の管理と由緒ある寺院の復活を兼ねて、昭和四十六年(1971)、旧地付近の現在の地に再興され、東福寺の特別由緒寺院となっている。
中央の八角堂が兼実を祀る廟で、その他九条家以下歴代十一人の墓がその東方に有りるようだ。

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塔頭【即栄院】
即宗院は、東福寺塔頭のひとつで、東福寺方丈の東側(龍吟庵の東側に隣接)にある。
即宗院の山門は、江戸時代初期の慶長18年(1613)の遺構で左右に石造りの仁王像を配した貴重な建造物である。
その仁王像は木枠で囲まれているが、覗き窓から見ることができる。

即宗院は、南北朝時代、元中4年(1387)藩主島津氏久が島津家の菩提のため、東福寺第五十四世住持、剛中玄柔和尚を開基として東福寺山内南部に創建されたのが始まりで、その後、永禄12年(1569)に焼失したため、慶長18年(1613)この地に再建され、現在に至っているという。
また、石畳の参道を行くと市指定の名勝庭園があり、植え込みや苔、灯篭、池などが配置され、静かで落ち着いた庭園となっている。
庭園は、いまから約八百年前、平安時代末に関白藤原忠道(ふじはらただみち)が御所の東御堂として建立したもので、子の兼実(かねざね・公家九条家の始祖)に伝えられ、兼実は月輪殿と称し山荘として使っていた。山と樹林に囲まれ閑静な地にあり、寝殿造系庭園として広く知られていた。
明治になって一部が荒廃してしまい、昭和47年(1972)以降、順次整備がすすめられ往年の姿を取り戻してきた。
即宗院庭園は、平安時代以来の地割りを受け継いでいることや、月輪殿の滝跡の石組み の残存や池などは当時を偲ばせ、その価値も高いため平成元年((1989)4月1日に京都市指定名勝にされている。

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【東征戦亡士之碑と西郷隆盛】
境内の東の奥には、西郷隆盛と清水寺成就院の僧月照(法名忍向)などが倒幕へむけ密議を交わしたと伝えられる茶室「採薪亭」跡や、謡いで有名な自然居士の石塔(墓碑)がある。
西郷は、採薪亭に隠れ住み、ここからさまざまな令を発して維新の大業をやり遂げたという。
また総師西郷は、鳥羽伏見の戦いに始まり会津若松の(白虎隊)東征が終わって、この間に難に倒れた島津藩士524柱(名)の事績を永く称えるため、当院に滞留すること半年、斎戒沐浴(身を清めて)して自ら工事を監督し筆をとって銘文をつくり、顕彰碑を建立している。


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塔頭【竜吟庵】
東福寺の主要伽藍の東北、本坊庫裏の背後から偃月橋(えんげつきょう)を渡った正面に位置する。東福寺第三世住持、無関普門(大明国師)の住居跡で、東福寺塔頭の第一位に置かれている。毎年11月に一般公開。

龍吟庵は東福寺の塔頭第一位の位置に置かれています。ここの庭園は1964年に重森三玲によって作庭されました。ここ龍吟庵の方丈は国宝で、そこを囲む東・西・南に三庭園があります。いずれも枯山水庭園になります。

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本坊庫裏の背後からみた偃月橋(えんげつきょう)。

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東福寺龍吟庵・西庭
龍門の庭、清光苑ともいわれます。龍が海から顔を出して黒雲に乗って昇天する姿を、石組みにより表現されています。竹垣に稲妻模様が施されています。

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東福寺龍吟庵・南庭
方丈の前庭で白砂を敷いただけのシンプルな庭です。奥の竹垣が重森三玲を思わせます。

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東福寺龍吟庵・東庭
不離の庭ともよばれています。大明国師(東福寺を開山、龍吟庵を住居として使用)が幼少の頃、熱病にかかって山中に捨てられた時、2頭の犬が国師の身を狼の襲撃から守ったという話を表現したものです。赤い砂は、鞍馬の赤石を砕いて敷いています。

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竜吟庵の表門からみた、偃月橋(えんげつきょう)。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-11-23 09:35 | Comments(3)

Commented by toshi at 2013-11-27 08:42 x
東福寺の塔頭も素晴らしい庭が多いですね 南門を出て少し下った左側の光明院は行かれましたか? 現在は無住となって居ますが 重森の庭の中ではオーソドックスな大きなもので私のお気に入りです(重森三玲庭園美術館の方に教えて貰いました)
無住なので参拝料は玄関左の太い竹の中に志納します(結構 払わない人が多い)
Commented by mo-taku3 at 2013-11-28 13:25
光明院は行ったことはありません。何回か前を通っていますが寄ることはなかったです。次の機会に覗いてみます。
Commented by mo-taku3 at 2013-11-28 13:28
境内図をみるとまだたくさんの塔頭があるんですね。