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西国(19番)札所【行願寺革堂】20140125

西国(19番)札所【行願寺革堂】20140125


行円上人が寛弘元年(1004年)に一乗小川に堂を建てたのが行願寺の創始と伝えられているが、行願寺という正式名称よりも革堂とという名称の方が一般にはよく知られている。
理由は行円上人が鹿皮を身につけていたことによるといわれている。

本尊が行円上人の作であるのが真実とすれば、約千年もの長い間、何回もの火災の難をくぐり抜けてきたことになる。由緒あると思われるこの仏像が、何故か文化財の指定がない。きっと真意の決め手がないのであろう。

御池通りの京都市役所の北にあり、寺町通りにはお寺が多数あるが、西国三十三ヵ所巡礼地はここ革堂のみである。
山門前にはかつて一条小川に革堂があったことを示す石碑が置かれている。

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「本堂」正面には「革堂観音」と書かれた「大提灯」が下がっており、印象的である。
納経所は本堂にある。 また、本堂には御本尊である千手観音像がまつられており、毎月17、18日ご開帳される。

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*8月22~23日には幽霊絵馬が供養公開される。この幽霊絵馬の逸話は、
「これはとある質屋の主人が子守りとして近江からきたおふみという名の女性を雇ったが、その女性が子どもをあやすときにここ革堂にきてはご詠歌を口ずさんでいた。
無信教の主人はこれを気に入らず、やめるように言ったがやめず、さらには子供が主人の前でまで歌うようになり、とうとう我慢の限界となった。
主人はおふみを折檻をしたが、度を超してしまい殺してしまう。
主人は遺体を埋めて隠して「駆け落ちして逃げた」とおふみの両親には報告した。
ある日おふみの幽霊が両親に現れて、殺されたことと、自分を愛用していた手鏡と一緒に革堂で埋葬して欲しいことを告げた。
その後、遺体を発見した両親は愛用の手鏡と絵馬を奉納して供養したという。
そのときの絵馬がこの幽霊絵馬で、この絵馬には手鏡がはめ込まれており、板におふみが描かれているという。」




この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-01-25 14:35 | (巡礼)西国三十三ヵ所 | Comments(2)

Commented by toshi at 2014-02-26 07:17 x
西国三十三か所巡りが成立したのは平安期 寺町の成立は秀吉の京都改造(御土居 聚楽第)の時と思います 革堂しか含まれないのはそんな理由からではないでしょうか 朱印帳の文字が書き慣れていて流石に見事ですね
Commented by mo-taku3 at 2014-02-26 16:57
西国三十三所めぐりは主旨が修業道ですから革堂・六角堂など平地のお寺が入るのは何かの意図があると思います。
この札所めぐりを復活させたのは、後白河法皇といわれていますが、その時に何かの力が働いたのではないかと思います。
札所番号も大幅に変わっているようで、青岸渡寺が一番となっていますが前は違ったみたいです。
今回御詠歌で書いてもらっていますが、下手なのはいます。多分書きなれていないのでしょう。上手い字をみるとうれしくなります。