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木々に包まれて静かにたたづむ『泉涌寺』20140527

木々に包まれて静かにたたづむ『泉涌寺』
20140527


寺地の一角から清水がこんこんと涌き出たことから泉涌寺(せんにゅうじ)という。
この泉は今も枯れることなく涌き続けている。

東山三十六峯の一つ、月輪山のふもとに大きな寺域をしめる泉涌寺がある。
その横には皇室の菩提所として壮大な月輪陵がある門跡寺院である。
資料によると、天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けられ、後に仙遊寺と改名されている。
建保6年(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師 (がちりんだいし)が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍の完成をみた。
その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めたという。
この泉は今も枯れることなく涌き続けている。 
大師は肥後国(熊本県)に生まれ、若くして仏門に入り、真俊大徳に師事して修学、大志をもって求法のため中国の宋に渡り、滞在12年、顕密両乗の蘊奥(うんおう)を究めて帰国した。
帰国後は泉涌寺において戒律の復興を計り、当寺を律を基本に、天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の道場とし、北京律の祖と仰がれた。
当時朝野の信仰篤く、後鳥羽・順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、北条泰時も月輪大師について受戒するなど、公家・武家両面から深く帰依された。
大師入滅後も皇室の当寺に対する御帰依は篤く、仁治3年(1242)正月、四条天皇崩御の際は、当山で御葬儀が営まれ、山稜が当寺に造営された。
その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇の、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の御葬儀は当山で執り行われ、山稜が境内に設けられて「月輪陵(つきのわのみさぎ)」と名づけられた。
こうして当山は皇室の御香華院として、長く篤い信仰を集めることとなる。
泉涌寺が「御寺(みてら)」と尊称される所以である。

総門内の参道両側をはじめ山内一円には塔頭寺院が建ちならび、奥まった境内には大門、仏殿、舎利殿を配した中心伽藍と天智天皇、光仁天皇そして桓武天皇以降の天皇・皇族方の御尊牌をお祀りする霊明殿と御座所、庫裡などの建物が連ねている。

御寺泉涌寺と書かれた総門をくぐって進むと

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緑の濃い参道が続く。

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左右の幾つかの塔頭を過ぎると、大門がある。
ここでお金を払って入り、なだらかな坂道を下って行くと正面に「仏殿」がある。
ただ堂宇の中は撮影禁止であるため、中はご紹介できない。

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すぐ後ろには「舎利殿」がある。
ここには、「太平記」という古書にも載せられている天下に二つとない霊宝が安置されており、これを題材とした「謡曲」が作られている。

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今も枯れることなく涌き続けている泉の取水場。

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菊の御門がある霊明殿とその内部。

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燦然と輝く「月輪陵」沢山の皇族が眠っている。
ここは天智天皇系列の皇族たちである。天武系は入っていない・・・。

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丁度さつきが満開でよく選定されたものがあった。

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中国から贈られた、楊貴妃観音のお堂。

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全山木々に包まれて静かにたたづむ堂宇、玉砂利の境内は、春は新緑、秋は紅葉に色どられて、一種別天地の雰囲気をかもしだす。
是非一度訪れて見ては如何でしょう。



この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-05-27 13:53 | (仏閣)京都のお寺 | Comments(2)

Commented by toshi at 2014-06-26 07:44 x
天智系と天武系は壮大な兄弟争いを繰り広げますね 天智天皇の定めた不改常典から長子相続が正当化されていくようですが まるで別の民族のように抗争を拡大していく歴史が此処にも見付けられますね
Commented by mo-taku3 at 2014-06-27 10:37
現在も古代史の研究を続けており、時々これはという資料に出会うことがあります。面白い本もありました。竹村??氏著書の「歴史を地形で見る?」という本が直近で面白かったですよ。
正確に調べて連絡します。
まだ確証は持っていませんが、出雲族がもともとの天皇の祖であり、神武=崇神が通説ですが、実は神武=応神で、応神が初代であり、「豊→トヨ→神功皇后→東遷→ヤマト建国」説が面白いと思っています。詳しく説明しないと納得感はないと思いますが。