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西国(第10番)札所『三室戸寺』(宇治市)20140527

西国(第10番)札所『三室戸寺』(宇治市)20140527


三室戸寺(みむろとじ) は、京都府宇治市にある本山修験宗の別格本山寺院で山号は明星山。
本尊は千手観音。
西国三十三所第10番札所。

寺伝によれば、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものという。
天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、藤原犬養なる者に命じて、その光の元を調べさせた。
犬養がその光を求めて宇治川の支流である志津川の上流へたどり着くと、滝壺に身の丈二丈ばかりの千手観音像を見た。
犬養が滝壺へ飛び込むと1枚の蓮弁(ハスの花びら)が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたという。
光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したのが当寺の起こりで、当初は御室戸寺と称したという。その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めたという。

創建伝承については伝説的色彩が濃く、創建の正確な事情についてははっきりしていないようだ。
園城寺(三井寺)の僧の伝記を集成した『寺門高僧記』所収の僧・行尊の三十三所巡礼記は、西国三十三所巡礼に関する最古の史料であるが、これによると、11世紀末頃に行尊が三十三所を巡礼した時は、三室戸寺は三十三番目、つまり最後の巡礼地であったろあるようだ。
寺は康和年間(1099 - 1103年)、三井寺の僧隆明によって中興され、その後寛正年間(1460 - 1466年)の火災で伽藍を失い、再興されたものの、天正元年(1573年)には織田信長と争った足利義昭に加勢したため焼き討ちされる。
現存する本堂は江戸時代後期の文化11年(1814年)に再建されたものでえある。

新しく作られたとみられる「総門」には西国十番の看板が掛けられている。

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本堂へ通じる70~80段の急階段がある。
その上からの眺めがすばらしい。

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境内の前には小さな池があり、それを囲むように鉢植えのハスが並べられている。まだ早いが所々咲きはじめている。
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本堂にある秘仏本尊を模して造られた「お前立ち」像は、大ぶりの宝冠を戴き、両手は胸前で組む。天衣の表現は図式的で、体側に左右対称に鰭状に広がっている。

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祈願のお線香にはあらかじめ祈文が書かれている。
この3つをお願いしてきた。

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鐘楼があったので重ねて祈願してきた。

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本堂の手前には、若貴兄弟の手形があった。
このお寺は“勝運”のご利益があるそうだ。

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小堀遠州の枯山水の庭が作られていた。
何処もここもきれいに整備されていて気持ちがいい。

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御詠歌で書いていただいた御朱印。

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*お寺の紹介
本堂
文化11年(1814年)に再建された重層入母屋造の重厚な建物で、秘仏の千手観音立像が安置されている。
阿弥陀堂
三重塔
元禄17年(1704年)建立の全高16メートルの三重塔で、もとは兵庫県佐用郡三日月村(現・佐用町)の高蔵寺にあったものを、明治43年(1910年)に当寺が買い取って参道西方の丘上に移設。その後境内の現所在地(鐘楼の東隣)に移された。[4]
十八神社本殿
庭園 『与楽園』
5000坪の広さがあり、枯山水・池泉・広庭からなる。5月は2万株のツツジ、一千本のシャクナゲ、6月は1万株のアジサイ、7月はハス、さらに秋は紅葉の名所にもなる。庭園を整備したのは、近年のことである。

十八神社本殿
木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像 - 平安時代後期の定朝様の作。両脇侍像は三千院の阿弥陀三尊像の脇侍と同様の跪坐(ひざまずく)の姿勢をとる。
木造釈迦如来立像 - 平安時代後期。嵯峨清凉寺の本尊像を模した「清凉寺式釈迦如来像」の最古の遺品。
木造毘沙門天立像 - 平安時代後期。
十八神社本殿(所有者は十八神社) - 三間社流造、長享元年(1487年)建立。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-06-21 11:11 | (巡礼)西国三十三ヵ所 | Comments(1)

Commented by 履歴書の書き方の見本 at 2014-09-04 09:00 x
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!