人気ブログランキング |

【源氏物語の里と宇治橋界隈】20140621

【源氏物語の里と宇治橋界隈】20140621


平安貴族にとって、宇治は別業(べつごう=別荘)の地だった。
舟遊びや紅葉狩りなどの遊びの地であるとともに、魂の安らぐ宗教的な地でもあった。
宗教的な面が強かったのは、平安時代中ごろに栄華の頂点を極めた、藤原氏の基盤があったためとのようである。

「橋姫」で始まり「夢浮橋」で終わる「宇治十帖」では、「京から宇治へ」「光源氏からその子・薫へ」と時空が移ることを「橋」で暗示し、「華やかさと静けさ」「此岸(しがん)と彼岸」など宇治の持つ対照的な要素も加えることで、物語が「春から秋」「昼から夜」の世界へと転じていくことを表したと言えるであろう。

e0237645_0331183.jpg


e0237645_0361149.jpg


e0237645_037113.jpg


源氏物語 宇治十帖(九) 手習
比叡山の横川(よかわ)に尊い僧都(そうず)がいた。
初瀬詣(はつせもうで)の帰りに急病で倒れた母尼を介護するために宇治へ来た。その夜、宇治院の裏手て気を失って倒れている女を見つけた。この女こそ失踪した浮舟(うきふね)であった。
僧都の妹尼は、亡き娘の再来かと手厚く介抱し、洛北小野の草庵に連れて帰った。
意識を取り戻した浮舟は、素性を明かそうともせず、ただ死ぬことばかりを考え泣き暮らした。
やがて秋、浮舟はつれづれに手習をする。

身を投げし涙の川の早き瀬を しがらみかけて誰かとどめし

浮舟は尼達が初瀬詣の留守中、立ち寄った僧都に懇願して出家してしまう。やがて、都に上った僧都の口から浮舟のことは、明石中宮に、そして、それはおのずと薫君(かおるのきみ)の耳にも届くのであった。

平成十八年十月 (財)宇治市文化財愛護協会

e0237645_039346.jpg


源氏物語 宇治十帖(六) 東屋
浮舟の母は、今は常陸介(ひたちのすけ)の後妻となっていた。
浮舟には左近少将(さこんのしょうしょう)という求婚者がいたが、少将は、浮舟が介の実子でないと知ると、財力めあてで浮舟の義妹と結婚してしまう。この破談に浮舟を不憫に思った母は、縁を頼って二条院にいる中君に預けることにした。
ある夕暮、ふと匂宮(におうのみや)は、西対(にしのたい)にいる浮舟を見て、その美しさに早速言い寄った。驚いた母は、娘の行く末を案じ、三条辺りの小家(こいえ)に浮舟をかくした。
晩秋、宇治を訪れた薫君(かおるのきみ)は、弁尼(べんのあま)から浮舟の所在を聞き、ある時雨模様の夜に訪ねて行く。

  さしとむる葎(むぐら)やしげき東屋の あまり程ふる雨そそぎかな

翌朝、薫君は浮舟を連れて宇治へと向かった。薫君にとって浮舟は、亡き大君の形見と思われた。

 平成十八年十月  (財)宇治市文化財愛護協会

e0237645_0394857.jpg


源氏物語 宇治十帖(二)  椎本
春、花の頃、匂宮(におうのみや)は、初瀬詣(はつせもうで)の帰路、宇治の夕霧の山荘に中宿りし、お迎えの薫君(かおるのきみ)やお供の貴族たちと音楽に興じた。楽の音は対岸の八宮(はちのみや)の邸にもよく通い、八宮は都にいられた昔を偲ばれた。
薫君から二人の姫君のことを聞き、ゆかしく思っていた匂宮は、宇治に消息(しょうそこ)を送ったが、返事はいつも妹の中君がなさるのだった。
薫君は八宮を仏道の師と仰いで、宇治を訪れ、姉の大君(おおいきみ)に強くひかれていく。
八宮は死期の近いことを感じ、姫君たちに身の処し方について遺言し、信頼している薫君に姫君を頼み、秋も深いころ、阿闇梨(あざり)の山寺で、さみしく静かに生涯を閉じられた。

 たちよらむ蔭(かげ)と頼みし椎が本  むなしき床(とこ)になりにけるかな

 平成十八年十月    (財)宇治市文化財愛護協会


e0237645_04092.jpg


この石仏は東屋観音として親しまれている、「聖観音菩薩坐像」。
宇治橋の架け替え工事に伴い移設されてここに鎮座している。

e0237645_0412834.jpg


e0237645_05289.jpg


源氏物語 宇治十帖(十)  夢の浮橋
薫君(かおるのきみ)は、小野の里にいるのが、浮舟であることを聞き、涙にくれる。そして僧都にそこへの案内を頼んだ。僧都は、今は出家の身である浮舟の立場を思い、佛罰を恐れて受け入れなかったが、薫君が道心(どうしん)厚い人柄であることを思い、浮舟に消息を書いた。
薫君は浮舟の弟の小君(こぎみ)に、自分の文(ふみ)も添えて持って行かせた。
浮舟は、なつかしい弟の姿を覗き見て、肉親の情をかきたてられ母を思うが、心強く、会おうともせず、薫君の文も受け取らなかった。
小君は姉の非情を恨みながら、仕方なく京へ帰って行った。薫君はかつての自分と同じように、誰かが浮舟をあそこへかくまっているのではないかとも、疑うのだったとか。

   法(のり)の師とたづぬる道をしるべにして  思はぬ山に踏み惑うかな

 平成十八年十月  (財)宇治市文化財愛護協会

e0237645_0502167.jpg


宇治橋の東詰にある、スウィーツの「通園」このようなお店は、宇治はお茶ということからお茶を絡めたスウィーツがたくさん出回っている。

e0237645_0424568.jpg


同じく、宇治茶の老舗「中村藤吉」は、JR宇治駅近くにあるが、ここ平等院の参道にも支店を出している。
今ではお茶よりスウィーツの方が有名になった。

e0237645_0433492.jpg


この店で出す、「うじきんソフト」。このほうじ茶が美味い。

e0237645_0435441.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-06-21 12:17 | (歴史)京都史 | Comments(0)