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宇治川の風景と鵜飼観光船20140621

宇治川の風景と鵜飼観光船20140621


宇治川の鵜飼は、平安時代にはすでに行われていたと言われている。
天禄2年(971)奈良の長谷寺に参詣した藤原の道綱の母は、その往復に宇治を過ぎて、川岸から鵜飼を見物している。
彼女が残した「蜻蛉日記では」、川幅一杯に数え切れぬほどの鵜舟が出て、それぞれにかがり火を焚き舟べりをたたいて、夜通し鮎を捕りつづけている様子が、興味深く書き留められている。
当時は、宇治川の風物詩、氷魚を捕る網代とともに、盛んに行われていたようである。

平等院の参道を抜けると、宇治川の堤防に突き当たる。
ここから堤防沿いにさかのぼり、鵜飼観光船に行きあたる。
更に、中洲を経由して対岸の宇治神社に行き宇治橋東詰に出ることができる。

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伊右衛門の福寿園があった。ここかぁという感じ。

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観光船乗り場。今日は休みか、沢山の屋形船が係留されていた。
勿論、鵜飼観光船は夜になる。
平安貴族の衰微とともに、宇治川の鵜飼も衰退していったが、大正15年に現在の鵜飼が再興され、宇治川花火大会と共に宇治の夏の風物詩となっております。

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対岸に女性鵜匠の沢木さんの鵜匠小屋があった。
この写真では見難いが、中には沢山の鵜が入っていた。
女性鵜匠は現在二人のようだ。

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西大寺の僧 叡尊は、宇治川における殺生の全面的禁断を命じる太政官符により、浮島のあたりに漁具・漁舟を埋め、日本最大の十三重石塔を建立し魚霊を供養し、宇治橋の再興を行っている。

しかし、この十三重石塔は1756年の大洪水で川底に沈んでいたのを、明治41年(1908年)になって川底をさらって引き揚げたそうです。
しかし残念ながら一枚だけどうしても見つからず、一枚だけ新しいのに代わっているそうです。

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宇治川の上流にはダムがあり放流があるとこの写真どころではない。
危険一杯の宇治川である。

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中洲から対岸に渡る橋の先には「宇治神社」がある

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-06-21 12:51 | (紹介記事)京都 | Comments(4)

Commented by go_go_barchetta at 2014-07-01 17:56
この鵜飼の屋形船いいですね!!
もっと詳しく調べてみます。
Commented by mo-taku3 at 2014-07-02 09:07
コメント沢山ありがとう。
屋形船もいいし、貴船の川床も今年は行けたらと思っていrます。
Commented by toshi at 2014-07-03 07:12 x
福寿園の向かいに朝日焼きの工房がありますね 思ったよりはるかに軽い湯呑が有り 福寿園の方にお年寄りに贈ると喜ばれますよと勧められ購入し母にプレゼントしたことがあります 宇治川の中洲の宇治川先陣の碑に気を取られて十三重塔は遠景から写真を撮っただけで通り過ぎてしまいました あの急流から引き揚げたとは凄いです 平等院も改修されたし次回はしっかり見なくてはいけないですね
Commented by mo-taku3 at 2014-07-03 23:28
歩くと色々気づきがあります。
去年も行きましたが、気付かなかったところ(忘れていたことも含め)色々ありました。
しかし、先に三室戸寺を訪問したこともあり、この辺りは歩き疲れて、暑さもあり、意欲が低下していました。また行きたいと思ってます。6月下旬から日勤になって少々お疲れモードです。