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精霊をこの世に迎える『六道まいり』(六道珍皇寺)20140802

精霊をこの世に迎える『六道まいり』(六道珍皇寺)20140802


平安京条坊の五条大路にあたる、現在の松原橋(牛若丸と弁慶の橋)から大和大路通東へ向かうと、道は緩やかな登り坂で「清水坂」の始まりとなる。
それは、現在火葬場となっている葬送地鳥辺野(とりべの)への道にあたる。その道筋の始めに西福寺がある。西福寺は浄土宗の寺で、この門の傍に「六道の辻」と記した石標が立っている。
住所は、京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤(ろくろ)町81となっているが、次のような経緯で轆轤(ろくろ)町が付けられたという。
かつてこの地には轆轤(ろくろ)職人が多く住んだ。江戸時代初期までは髑髏(どくろ)町といわれていたという。江戸時代、寛永年間に時の御上のお達しで町名を轆轤に改められたいう。

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西福寺はの謂れは、この地に弘法大師(空海)(774-835)が辻堂を建立し、土仏地蔵尊を安置したのが始まりとされている。
第52代・嵯峨天皇の皇后「橘嘉智子(たちばなの かちこ、786- 850)」は、地蔵堂に参詣し空海に帰依したという。そして、六道の辻の地蔵堂を度々訪れたといわれている。
橘嘉智子は橘清友の娘で、第52代・嵯峨天皇皇后であり、禅院檀林寺を創建したことから檀林皇后ともいわれた。橘氏としては最初で最後の皇后で、嵯峨上皇没後も皇太后、太皇 太后として勢威を振ったといわれている。


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その南隣に位置するのが、平清盛公乃塚のある六波羅密寺。

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お盆を迎えるにあたり、毎年8月7日~10日に、先祖ならびに新盆(にいぼん)の精霊を現世(この世)に迎える 「六道まいり」 が行われている。
本堂で寺僧らに先亡の戒名を水塔婆にしたためてもらい、冥土に届くとされる迎え鐘をついて、先祖はじめ新盆(初盆)の御霊(みたま)を迎える。
お寺には、重要文化財の本尊薬師如来像はじめ、閻魔大王像や小野篁(おののたかむら)像の開帳や、地獄絵も特別展観される。また、2014年は昭和を代表する京焼陶工で「昭和の名工」とも称された初代・村田陶苑(1905~2002年)の作品、陶彫「閻魔王」(1990年制作)も特別展示される。
京都のみならず他府県からも多くの人が訪れ、露店も出て大変賑わっている。

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これが(六道珍皇寺)のお迎えの鐘である。

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その先には閻魔大王像や小野篁(おののたかむら)像を祀る、閻魔堂・篁堂がある。

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六道とは、仏家のいう地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六種の冥界をいい、一切の衆生(しゅうじょう)が善悪の業因(ごういん)によって、必ず行くべきところといわれる。
この地は、この世と、あの世を結ぶ交差点にあたる。小野篁(おのたかむら)地獄行きの物語には、そうした人物の存在を容認できる背景が揃っているといえる。

このお寺の庭の奥には、小野篁「冥土通いの井戸」がある。

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これが冥土通いの井戸である。

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(付記)
西福寺の向かい側に、「幽霊子育飴」という飴を売る店がある。この店にまつわる赤子塚伝説がある伝えられている。
ある夜、夜更けに店先から女の声がする。外には、青白く痩せこけた20代中頃の女が一人立っており、細い声で、一文の飴を分けてくれという。仕方なく飴を渡すと、女は闇の中に消えた。
このことが続き後をつけてみると、女は六道の辻から清水坂を上り、さらに人気の絶えた鳥辺山の墓地に入り、消えた。
住職と共に女が消えた辺り行ってみると真新しい盛土がある。住職によると、6日前に身重の女が亡くなったという。親類縁者も墓前に集まり回向しだすと、土の中から突然赤子の泣き声がした。急いで土を掘り返してみると、棺桶の中に亡くなった母親とともに、その傍らで泣く赤子がいた。赤子は飴をしゃぶっていたという。
住職によると、身重の母親は墓の中で赤ん坊を産んだが乳が出ない。仕方なく、幽霊になって飴を買い求め、乳の代わりに赤ん坊に与えていたのではないかという。
母親は再び手厚く葬られ、赤ん坊は墓から取り出され住職が育てることになった。
その日の夜以来、女は店に現れなかったという。その子は仏門に入り、亡き母の菩提を弔い、後に高僧になったという。
このことがきっかけで、それ以来店の飴は「幽霊子育飴」として知られるようになったといわれている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-08-09 09:08 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

Commented by toshi at 2014-08-18 07:24 x
地獄極楽が現代よりも現実的に感じられていた時代に 冥土への入り口という謳い文句は 怖いもの見たさの聴衆を引き付けたのか 死者への未練を遂げに参拝されたのか 興味深い処です 
Commented by mo-taku3 at 2014-08-20 20:08
科学的な証明ができなかった時代は祟りが最大の関心毎だったのでしょう。これは寺社にとって格好の稼ぎどころだったのではという気がします。
ここは今でも京都の大事な行事の一つとなっているようで、六道まいりをすることで大きな癒しとなっているように聞きます。身内に不幸があった初盆にはここに行く人が多いようです。
(ちなみに京都では初盆にお線香を贈る風習があります。)
ここの鐘楼はなかなか考えていて、突くのではなく引くと鳴るようになっていていい音がします。