人気ブログランキング |

皇城鎮護の北野『東向観音寺』20140806

皇城鎮護の北野『東向観音寺』20140806


寺伝によると延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城鎮護のために建立され、当初は朝日寺と呼ばれていた。
天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが天満宮を建立した後の応和元年(961)、筑紫の観世音寺より菅原道真公御作の十一面観世音菩薩を請来し安置された。
応長元年(1311)、無人如導宗師が中興し、花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇信仰深く筑紫の観世音寺に擬して観世音寺または観音寺と改称し、天満宮御本地仏・北野神宮寺または、奥之院とも称した。

江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、一條家出身で明治天皇の皇后になられた昭憲皇太后は、ご結婚なされる前に当寺で勉学に励まれたと言われている。そういえば、昭憲皇太后ゆかりの木が天満宮にうえられている。
江戸時代の後期頃より寺名は、観音寺となった。
現在は、真言宗泉涌寺派、準別格本山となっている。

e0237645_11273343.jpg


e0237645_11274846.jpg


本堂が東を向くことから東向観音と称されるようになる。
元は、東向・西向(一夜松の観世音菩薩安置と伝える)の両堂あったが、応仁の乱や火災等で焼失し、西向きは再興されず東向観音堂のみ再建された。

e0237645_1128194.jpg


今は枯れているようだが、井戸から手水舎へ樋が付いている。

e0237645_11281354.jpg


役行者(えんのぎょうじゃ)ともゆかりがあるようだ。
ただ、行者堂の説明は見当たらない。

e0237645_1128244.jpg


e0237645_11283429.jpg


本堂の左手に、『伴氏廟』の一角がある。
菅原道真公母君は大伴氏の出であり、その御廟と伝わる石造五輪塔で、4メートルを超える巨大なものである。元は、隣接する北野天満宮の三の鳥居西側(現在の伴氏社の場所)に位置し、洛中洛外図などにもよく描かれているが、明治の藤原氏系主導の廃仏毀釈で当寺に移されてきたとのこと。
古来より忌明に、この塔に参詣する風習があり忌明塔とも称される。

e0237645_11285460.jpg


また、この五輪塔の左側に『土蜘蛛灯篭』がある。
昔、七本松通り一条に住み、源頼光悩ました土蜘蛛が住んでいたところといわれているが、時代的には合わない。
しかし、土蜘蛛とは土着の先住民で穴居で生活する背が低く土蜘蛛のようだったことからこのように云われてきた。日本書記の神武の東征のところでもでてくる。

e0237645_11291719.jpg


e0237645_1715057.jpg


白衣観音堂
本尊を高王白衣観世音菩薩とし、明暦元年(1655)に大明国(現在の中国)の陳元贇禅師より寄進された観音像である。
通常の白衣観音像とは、異なり子供を抱かれている大変珍しい観音像で、古来より特に世継子授や安産の信仰を集めている。
堂宇は、元禄7年(1964)に当寺の第18世信啓和上が建立された。
ご利益 世継子授・安産・愛児健祥・厄除・災難除など

e0237645_1129547.jpg


当寺の鎮守神で、豊臣秀頼が本堂を再建された時に奉納された弁財天である。
毎年12月1日の柴燈大護摩供にご開帳を行う

e0237645_1662778.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-08-06 22:50 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi at 2014-08-18 07:16 x
北野天満宮参道の西側のお寺ですね 十一面観音の石柱が気になりましたが 誰も居られぬようで写真だけ撮ってお参りせずでした
菅原道真公御作と云う処が権威付けのようで見世物小屋的な胡散臭さも感じますが 拝観したくなるのも事実です 
Commented by mo-taku3 at 2014-08-20 19:52
そうなんですよ。菅公に便乗した感は否めません。
例えば、伴氏廟所も元はここではなかったでしょうし、土蜘蛛伝説も?です。(遺跡調査では黒)また、役行者堂も説明がありません。ここに限らず、怪しい寺社は多いと思いますが、結果イマイチ有名にならないのでしょうね。