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鴨族の流れを汲む『久我神社』(西賀茂)20140904

鴨族の流れを汲む『久我神社』(西賀茂)20140904


創建は不詳とある。
どうも、賀茂氏が大和から山城に移住するに際して祀った社の1つと見られている。
『山城国風土記』逸文によると、賀茂建角身命は神武天皇の東征に功を成したのち、大和から、
 1、「山代の国の岡田の賀茂」 - 現在の京都府木津川市加茂町。式内社の岡田鴨神社( 位置)が鎮座。
 2、「葛野川(桂川)と賀茂河(鴨川)との会う所」 - 現在の京都府京都市伏見区。式内社の久何神社(現・久   我神社、 位置)が鎮座。
 3、「久我の国の北の山基」 - 当社付近。
の順に遷座したといい、それぞれの地には現在も賀茂氏の氏神が祀られている。
「久我(国)」の地名については、当社一帯の古称であるが賀茂氏勢力の広がりにつれて衰えたとする説がある一方、本来は久何神社(久我神社)のある乙訓郡の呼称で当地に踏襲されたとする説や、乙訓郡ではなく南山城の紀伊郡を本来の呼称と見る説が挙げられている。
また、現在地に祀られたことに関しては、付近に賀茂建角身命の墳墓があったためとする伝承があるが、明らかではない。

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現在の本殿・拝殿は寛永5年(1628年)の造営。本殿は一間社流造の形式で、檜皮葺の屋根であり、上賀茂神社の他摂社と同じ造りになる。また拝殿は梁間一間・桁行二間の切妻造妻入で、屋根は同じく檜皮葺である。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-09-04 10:11 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(3)

Commented by toshi-ohyama at 2014-10-06 08:56
賀茂建角身命は八咫烏であるとの記述を読みました 大和族の大和侵略時に鴨族がその先導を勤めたということなのでしょうか
Commented by mo-taku3 at 2014-10-07 12:45
鴨族は葛城と同じ系統に属すといわれているようです。
早くから紀ノ川沿いは土蜘蛛と呼ばれる手足の長い民が住んでおり、神武天皇の東征時に阻害要因だったようです。
その土蜘蛛を退治したとあり、その塚が御所市(鴨族の本拠)葛木一言主神社にあります。八咫烏もこの土蜘蛛の一部と考えられると思います。
何故なら、密かにこの神社に祀られていますし、葛城族・鴨族がそのご繁栄してますので創作されてきたのではないかと感じています。なかなか表現がうまくできなくてすみません。
もう少しコンパクトにまとめたいと思います。(続く)
Commented by mo-taku3 at 2014-10-07 12:47
(続き)ちなみに、葛城一言主神社の「土蜘蛛塚」駒札には、
「葛城一言主神社の本殿横には、申し訳なさそうに【土蜘蛛塚】がある。木々で覆われ、さらに寄進者名を記した看板で正面からは臨めないようにされている(どう見ても意図的に隠されているとしか言いようがない)。
この地域の“葛城”という名前は、神武天皇がこの地域にいた先住民を“葛”でひっくくって退治したという伝承から付いたとされている。この先住民が、手足が長いために“土蜘蛛”と言われているのである(このエリアより北ではあるが、神武天皇に逆らった神として長髄彦(ナガスネヒコ)がいる。ネーミング的には同じ発想のようである)。この名は、天皇家にとっては目障りな存在としての“まつろわぬ民”の総称でもある。
この神社にある土蜘蛛塚であるが、神武天皇が捕らえた土蜘蛛を頭・胴・足の3つに切って埋めた場所であるとされる。」
とあります。