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大津祭の神社『天孫神社』20141011

大津祭の神社『天孫神社』20141011

天孫神社は「大津祭」の神社。

天孫神社は、奈良時代(西暦782年)に創立され、平安時代(西暦806年)10月には、近江に行幸された平城天皇※が、仮御所とされた。
その後も平安時代(西暦1190年)近江の守護職の佐々木定綱により社殿造営され又神供田などを寄付された。その後大津城が築城された折には、城下の守護神として町衆より崇敬された。
近江の国には大変神徳の厚い社が一宮~四宮あり、一宮が建部大社、二宮が日吉大社、三宮が多賀大社そして四宮が天孫神社である。
の城主青地伊予守より所領の寄進があり、豊臣秀吉が大津城築城の際にその余材をもって当社を修復された記録がある。

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寺伝には、
「社号はもと四宮神社・天孫四宮大明神と称され、現在も一般に四ノ宮と呼ばれている、これは彦火火出見尊・国常立尊・大名牟遅尊・帯中津子尊と四神を祀る為とか種々説がある。
また、当社は鎮座地を何度か変えており、大正時代の『近江新聞』によると、最初我が大津の南方吾妻川の堤元の四の宮町(今の伊勢屋町北方の地)と稱する所に鎮座する百二代後土御門天皇の御宇文明年中(1469~1486)洪水のため破損し琵琶湖辺に遷し奉り、もと武蔵野関の神社と稱せし、がその後第百四代後奈良天皇の御宇天文年中(1532~1554)又洪水のため四座皆破損せしめより再び中寺野と稱する。即ち現今東浦字蟹川と呼べる小流の辺に遷し奉りしが文明年中又回禄の事あり、時の国主佐々木氏の命に依り現今の地に奉遷し後天孫神社と稱するに至る。
当社はもと大津市の中心にあり、その産土神となっているが、鎮座当時は周辺にあまり人家はなく湖岸一帯は葦原沼と称され、四宮五座として本社の境域を劃(かく)していたが、天正十三年(1573~1591)坂本城をこの地に移して大津城と改称するに至り、当社はその地主神である為、市外の発展と共に全城下の鎮護神、全町民の産土神となって神威を発揚(はつよう)し、これが十月十日(旧九月十日)四ノ宮祭となり、記録によると曳山祭は慶長年中に始まり、街の発展人口増加に従ってその数を増やし、元禄年中に大体現町名が整って、京都の祇園会を彷彿させる神輿二基山鉾十四基による優美な巡幸が斎行される様になった。尚この祭礼には代官所並総年寄町年寄等の役人も協力奔走し、又大溝藩主分部侯よりも特に鎗二本を出して渡御の警護に当る等上下崇敬の厚かったことがわかる。」





この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-10-11 10:58 | (寺社)関西の神社・仏閣 | Comments(0)