【二条城】を一度も訪れなかった将軍は誰?20150207

【二条城】を一度も訪れなかった将軍は誰?20150207


現在ある二条城は、江戸時代の初期に建てられたもので、それまではこの位置には無く新たにこの位置に建てられたものです。
二条城を建てるに当たり、旧平安京の御所の禁裏(庭園)を大きく浸食し、大々的に拡張されて徳川政権の京都のシンボル的なお城として造られている。
現在二条通りを挟んで二条城の南側にある「神泉苑」も大きく削られて今の小規模な状態になっている。

二の丸御殿です。

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さて、家康の代から家光の代にかけて造られたたが、造られて以降 『歴代の将軍でここを訪れていない方は7名いる』 ようで、その方々の説明板がお城の周囲に掲げられていました。
それを写してきましたのでご覧ください。

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以上7人の理由もコミカルに的を得て描かれていて面白い。
ここにきてこのような企画が作られているのは何故だろうとも思う。新鮮な企画だと思う。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-02-07 13:24 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2015-03-04 08:31
とても大胆で面白い企画ですね 家光の紫衣事件で幕府の諸法度は天皇の勅許より優先するとの既成事実を作って朝廷の権威を否定した幕府としては 京都参内の必要性は無いと考えたのでしょうね 日米修好通商条約締結時の堀田正睦がこの辺をきちんと押さえて居れば その後の歴史も変わっていただろうと思います 家茂が参内した時に力関係が崩れ 勝負は決まったのかもしれません
Commented by mo-taku3 at 2015-03-05 09:47
大変鋭い歴史認識ですね。恐れ入りました。
ただ、堀田正睦は当時の状況では抑えられなかったんでしょうね。譜代・親藩それぞれの大名の中でも横を向く状況から考えれば、儒教の精神が入っていたとしても、お家大事の考えはこのような状況下では頭を持ち上げてくるんでしょうね。
今の時代も変わりませんねぇ。