平安初期の遺蹟が出た京都二条公園20150408

平安初期の遺蹟が出た京都二条公園20150408


この二条公園は旧平安京の太政官と宮内省及び園韓(そのから)神社(園神と韓神を祀る神社)があったところとされている。
この辺りは旧平安京の遺跡が沢山埋没しているところで、京都市は歴史解説版を沢山配置しているところである。
宮内省の遺構や平安前期の土器なども出土しており、地下には古い遺構がたくさん残されているようだ。

この公園の桜やすぐ隣にある、二条城の木々が一隻目を噴き出している。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-04-08 11:00 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2015-04-27 08:16
聚楽第 二条城(新 旧)と 御所の西側に信長 秀吉 家康が城や邸宅を建てるのが不思議だったのですが 初期平安京の主要建築物は右京にあり その上に建てることに政治的意味が有ったことを最近知りました 母の実家の菩提寺(在有馬温泉)も 元々秀吉の湯治場だった場所に秀吉の遺構を消すため家康が寺を建てて居ます 政治家のやることには必ず意味があるようです
Commented by mo-taku3 at 2015-04-27 15:43
面白いですね。
二条城はちょっと違うような気がします。
平安京は残念ながら西の方は徐々にさびれ、火災があってからはかなり荒れ果てていたように思います。
二条城は元々家康の時代に東側半分(二条御殿まで)が造られ、家光の時代に西側に拡張しています。
大きく削られたのは家光の時代になります。
家康の時代は神泉苑までは手を伸ばしていなかったのではと思います。
二条城の大手門は東と北の二か所にあり、ともに東側にあるところからやはりメインは東側になります。
ただ不思議なのは、天守閣跡が西側にあるんですよね。ひょっとしたら、家康の時代にすでに絵図面ができていたのかもしれませんね。家康さん本当のところは???…です。