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三ノ宮妃お手植えの仏光寺の枝垂れ桜20150408

三ノ宮妃お手植えの仏光寺の枝垂れ桜20150408


 『仏光寺』 を少し紹介させていただく。

仏光寺は浄土真宗仏光寺派の総本山で、応仁の乱前は真宗最大の規模を誇っていた。
しかし、その後仏光寺の第14世を継ぐべき経豪(後の蓮教)が本願寺の蓮如に帰依し、48坊のうち42坊など有力末寺とともに本願寺に帰参してしまった。
そのため、佛光寺の寺勢は急激に衰え、代わって本願寺が台頭するところとなった。
その後、残った有力末寺6坊は、経豪の弟経誉を知恩院からよび戻し、佛光寺第14世としてその系図が現在に至っている。

佛光寺では、4月初旬に大師堂と阿弥陀堂の大きなお堂の前で3本の枝垂桜が濃い紅色の花を見事に咲かせる。
この3本の桜の木は秩父宮妃、高松宮妃、三笠宮妃が昭和47年(1972)にお手植された由緒ある桜で、3本とも大事に手入れがされて見事に遅咲きの枝垂れ桜として花を咲かせている。

何故 三の宮妃(秩父宮、高松宮、三笠宮) のお手植えの桜がここにあるのかを調べてみたが、多分1907年2月11日の「皇室典範増補」により、王は勅旨または情願により、家名を賜って華族になることができるとする臣籍降下制度が創設され、継嗣以外の王子は原則として臣籍降下することになったことにより、皇族との関係ができたと思われる。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-04-08 14:58 | (特集)桜情報 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2015-05-12 07:07
昭和47年は 私の社会人スタートの年 未だ50年経たないので木の若さを感じます
秩父宮殿下はは昭和28年に亡くなられていますが 昭和天皇は青年将校が秩父宮を担いで自分に退位を迫るのではとの不安を感じられたようにも見受けられます 頼朝と義経の関係を思わせる部分もあり歴史の妄想が広がります
Commented by mo-taku3 at 2015-05-12 11:47
へ~えっ、そうゆう逸話があったんですか。
全く知りませんでした。
何かに載ってますでしょうか。読んでみたいですねぇ。