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昭和天皇が復活させた弘文天皇と『近江神宮』20150522

昭和天皇が復活させた弘文天皇と『近江神宮』20150522


近江神宮(おうみじんぐう)は、滋賀県大津市に鎮座する神社で、皇紀2600年を記念して同年に相当する1940年(昭和15年)に創祀された、まだ非常に新しい神社である。
天智天皇が開いた【大津京】跡といわれているところに建てられている。

終戦直後には、神道指令が発令された1945年(昭和20年)12月15日のまさにその当日に、戦後復興を祭神(天智天皇)に祈願した昭和天皇の勅旨により、同神宮は勅祭社に治定された。
例祭は大津宮に遷都された記念日の4月20日に勅使が参向して行われる。
このほか主な祭典として、6月10日時の記念日の漏刻祭、7月7日(年により5日)の燃水祭、11月7日の御鎮座記念祭、12月1日(年により2日)の初穂講大祭、1月前半の日曜日のかるた祭(かるた開きの儀)などが行われる。また、11月3日の文化の日には武田流鎌倉派日本古式弓馬術協会による流鏑馬神事が行われる。

天智天皇が日本で初めて水時計(漏刻)を設置した歴史から境内には各地の時計業者が寄進した日時計や漏刻などが設けてあり、時計館宝物館と近江時計眼鏡宝飾専門学校が境内に併設されている。(資料による)


手水舎を過ぎると朱塗りの立派な楼門がそびえている。

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手水舎。

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傍で見る楼門。

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外拝殿。

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外拝殿から正面に見えるのが祭典や祈祷の行われる内拝殿である。

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栖松遙拝殿(せいしょうようはいでん)
かつて高松宮家の邸内社・御霊殿として有栖川宮家以来の御霊を祀っていた建物が、高松宮家廃止にともない、平成18年近江神宮に移築されました。遙拝式はここで行われています。


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楼門から見た先の庭に、百人一首優勝者の記念樹が植えられている。

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『小倉百人一首』の第1首目の歌を詠んだ天智天皇にちなみ、競技かるたのチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦が毎年1月に行われている。このほかにも高松宮記念杯歌かるた大会・高校選手権大会・大学選手権大会なども 開催されるなど、百人一首・競技かるたとのかかわりが深い。競技かるたに取材した漫画・アニメ『ちはやふる』の舞台ともなった。
天智天皇の百人一首の歌の歌碑も設置され、柿本人麻呂・高市黒人の万葉歌碑、弘文天皇(大友皇子)の御製漢詩碑、芭蕉句碑、保田與重郎の歌碑など多くの歌碑・句碑が作られている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-22 13:47 | (寺社)関西の神社・仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2015-07-08 08:43
大学時代のクラスメイトが 競技かるた会所属だったので 何度か練習風景を拝見したことが有ります あれは格闘技であります
碑文中に 高松宮殿下と近江神宮のご縁が深いと書かれていますが どの様なご縁なのでしょうか...
Commented by mo-taku3 at 2015-07-10 16:26
元々近江神宮は昭和天皇のお声がかりで昭和になって造られた神宮ですので、弟宮である高松宮だけでなく御兄弟は皆親交があったと思われます。
しかし中でもこんなエピソードがありました。
昭和13年、近江神宮奉賛会設立に際しては、その総裁として高松宮宣仁親王殿下にご就任いただきました。(会長は近衛文麿公)高松宮殿下には、御造営工事中にもご視察いただいて御令旨を賜り、御鎮座ののちはたびたびご参拝、特に戦後、外苑敷地に県・市により競輪場が建設されたのは、終戦後の多難な状況にあった近江神宮への経済的援助の資とするためもあってのことでした。殿下は高松宮杯競輪に当っては毎年ご来臨になられ、その際はかならず近江神宮に参拝になる習いでした。
とあり、なるほど…でした。