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明智光秀の菩提寺【西教寺】(滋賀県大津市坂本)20150522

明智光秀の菩提寺【西教寺】(滋賀県大津市坂本)20150522


この西教寺(さいきょうじ)は明智光秀の菩提寺で有名である。
しかし、開基や規模など伝統ありそうそうたる規模のお寺であった。

西教寺は、滋賀県大津市坂本にある天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺という。
開基(創立者)は聖徳太子といわれている。室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛が入山してから栄えた。
比叡山東麓の坂本地区の北方にあり、比叡山三塔の一つである横川(よかわ)への登り口に位置する。
付近には比叡山の鎮守である日吉大社がある。
西教寺は、天台宗総本山の延暦寺、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)に比べ知名度は低いが、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、400か寺以上の末寺を有するしている。

西教寺は、元亀2年(1571年)、織田信長による比叡山焼き討ちの際に焼失した。
このとき、本堂とともに、焼失した旧本尊の代わりに、甲賀郡(現・滋賀県甲賀市あたり)の浄福寺という寺から阿弥陀如来像(重要文化財)を迎えて本尊とした。

上記の信長による比叡山焼き討ちの後、近江国滋賀郡は明智光秀に与えられ、光秀はこの地に坂本城を築いた。
光秀は坂本城と地理的にも近かった西教寺との関係が深く、寺の復興にも光秀の援助があったと推定されている。光秀が戦死した部下の供養のため、西教寺に供養米を寄進した際の寄進状が寺に現存している。また、境内には光秀の供養塔が立っている。
一族のお墓も大事に祀られており、光秀の施政がよかったことが偲ばれる。

さて山門から先には一直線に緩やかな坂道の参道が続いている。

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門の脇には「明智光秀公と一族の菩提寺」の石碑が建っている。
しかしホームページなどを見ても光秀公のことはあまりうたわれていない。

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この境内図を見てもご覧の通り、寺域がかなり広く古刹でもある。

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文学ゆかりの地、小説「細川ガラシャ夫人」(三浦綾子)とある。
この小説に出てくる、「鉦の音」の解説がある。

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長い参道である。400~500m位あるだろう。

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途中のいくつかの「塔頭」には文化庁の『登録有形文化財』の銅板が掲げられていた。
理由を聞いてみると、ある一定期間建物が建て替えや大きな修理が行われていない物件(この場合はこの門そのもの)が対象となるみたいだ。

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参道から本堂に上がる階段がある。
周囲を見渡すといしがきがみえる。位置的には坂に造られたお城だが、造りは城が前のように見える。
さすがに比叡山と関係があったお寺である。


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この看板の上の方は墓地になっており、戦国武将に仕えた有名人の墓がある。
私の好きな「真田太平記」にも出てくる、伊賀忍者の上忍『山中長俊』の墓もあった。

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本堂の前の一角に、明智光秀一族のお墓がある。

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客殿の入り口。

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本堂。

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宗祖大師殿の唐門を出たところからは琵琶湖が一望できる。

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近江商人にちなんだそろばん小僧が献上されていた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-22 14:54 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(1)

Commented by mo-taku3 at 2015-07-10 16:36
西教寺は私も二度ほど参拝して居ります 登り道がきつかったことを想い出します
明智左馬の介の琵琶湖湖水渡りの鞍が展示してありましたが 白木のとても小さい鞍なので驚きました.

(toshiさんのコメントが岡寺に入ってましたのでこちらにコピーしました。)

ここはさるが出没するらしくお墓のお供え物を食い荒らしたり墓石を倒したりしているようです。
まは墓石の素材が悪く判別がつきにくく探すのに苦労しました。
鞍は本堂ですか?残念ながら本堂には入りませんでした。