関西花の寺『久安寺』はなかなかの名刹20150530
神亀2年(725)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が開創した。
天長年間(824~834)に弘法大師在留し、真言密教道場として栄えた「安養 院」が前身とある。
保延6年(1140)安養院は灰塵に帰したが、薬師如来像、阿弥陀菩薩像は消失を免れ、本尊千手観音像は岩 の上に飛行して、光明を放ったと伝えられている。
久安元年(1145)に、桜門、堂塔伽藍、四十九院などが再興され、久安寺と改称された。
安土桃山時代には、豊臣秀吉が参詣し、江戸時代には歌人平間長雅が在住して観音信仰を広め、盛衰を繰り返す中で法灯を護持 されてきた。
昭和興隆事業により、諸堂を造営し、ア字山とバン字池からなる庭園「虚空園」の整備、旧伽藍跡に霊園および仏塔を造営し、現在は花の名所及び観光修行道場となっている。
「軒反り」という稀有な技法による美しい楼門(国・重文)から、北へ350m、真っ直ぐに参道がのびる。
その東側に薬師堂、西側に本堂と阿弥陀如来坐像や薬師如来立像、釈迦涅槃図などを祀る阿弥陀堂があり、四方四仏の曼荼羅に整えられている。
本堂があり、北側には虚空園が広がる。
両果(りょうが)の道と呼ばれる参道の東にカエデが生い茂るア字山(生命)、西にバン字(心)池を配し、瞑想する仏の世界を具現化している。
4月下旬から5月上旬にかけて、バン字池の周辺にはボタンが次から次と花びらをほどき、虚空園を鮮やかに輝かせる。それは、まさに典雅の華に彩られた西方浄土。
そしてアジサイの植込みが続く参道を進むと、6.4mもの涅槃像を祀る舎利殿涅槃堂である。
山々を背後にした1万坪に及ぶ久安寺は全域が密教教学の曼荼羅思想による庭になっており、ここに身を置くことで即身に仏性の花が咲くのである。
その途中には行基像を中心にかわいい小像が囲んでいる。
摂丹街道(国道423号線)を北へ行き、久安寺を目指すと、この辺りは日本有数の植木の産地である細河地域になる。
16世紀初めには既にボタンが大規模に栽培され、江戸時代には各藩大名に親しまれることになってブームがおきたといわれている。
こんな土地柄もあって、久安寺には境内の環境によく合った草木が数多く植え込まれ、季節ごとに見事な花景色を披露する。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2015-05-30 15:07 | (仏閣)関西のお寺 | Comments(2)