京都西賀茂にある一様院(近衛家香華所)20150617

京都西賀茂にある一様院(近衛家香華所)20150617


一様院は山号を白毫山と号する黄檗宗の名刹。
御所より移築された薬師堂(右記)には、 伝教大師作薬師如来が奉安されています。
比叡山を借景とした石庭も見事で、座禅を体験するため全国から人々が訪れています。

1711年~1716年(正徳年間)近衛基熙公が開基となり、隠巌禅尼を迎えて開山とする。
その後30余人の尼僧の道場として塔頭10余ヶ寺があった。明治にはいると塔頭5ヶ寺となり、現在は2ヶ寺となっている。歴代住職は尼僧であったが、前住職が初めて男僧として入山し、現在14代を継いでいる。

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近衛基煕 江戸時代前期の公家・近衛基煕(このえ もとひろ、1648-1722)。関白・左大臣・近衛尚嗣の長男、母は近衛家女房(瑤林院)。1653年父没後、父の正室・後水尾皇女昭子内親王に男児なく、後水尾上皇(第108代)の命により家督を嗣ぐ。1654年元服、正五位下に叙せられ、左近衛権少将。1655年従三位・公卿、1656年権中納言、1658年権大納言、1664年後水尾上皇皇女・常子内親王を正室とした。1665年内大臣、1671年右大臣、1677年左大臣。1680年後水尾法皇没後、第112代・霊元天皇親政により親幕派として疎まれる。1686年従一位。1690年関白就任、以後、幕府との関係を築く、1709年6代将軍・家宣就任により将軍家との関係も深まる。第114代・中御門天皇以後、院政をしき太政大臣に就任。東山上皇(第113代)意向の新宮家(後の閑院宮)創設に深く関与。1722年出家し証岳と称した。大徳寺に葬られる。
 後水尾天皇により和歌の影響を受け、書道、絵画に優れた。1683年第111代・後西天皇より古今伝授を受けた。有職故実に詳しかった。『源氏物語』の注記書『一簣抄』、日記『基熈公記』を著す。

資料には以上のこと画家かれている。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-06-17 11:54 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2015-07-27 08:18
近衛家を筆頭とする藤原家の歴史は 近衛文麿により終わるように見えます 中臣鎌足以前の生い立ちがはっきりせず 渡来民族との説を読んだことが有ります 何れにせよ日本の政治史に見え隠れする藤原一族の歴史には 追掛けて見たくなる魅力を感じます
更には 古今伝授は現在誰に伝承されているのでしょうか
Commented by mo-taku3 at 2015-07-28 11:16
今でも、文科省に藤原氏直系の顧問が存在しているそうです。
明治天皇を始め昭和天皇も藤原氏の流れを汲んでおります。
その表れが、昭和天皇による弘文天皇の認知や近江神宮の創設などがあります。
天智天皇は明らかに藤原寄りですので、天皇に伝わっている皇室の歴史は資料とともにかなり詳しく存在していると思います。泉涌寺に行くと月輪陵がありますが、天武系の皇族は排除されており、ここにも藤原の影が見え隠れしているよう思います。