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鷹峯にある『寂光山常照寺と吉野太夫』2050617

鷹峯にある『寂光山常照寺と吉野太夫』2050617


鷹が峯にある常照寺は、本阿弥光悦ー日蓮宗ー吉野太夫 と結びついている。

本阿弥光悦は、元和元年(1615)徳川家康より東西200間、南北7町の鷹峰の地を拝領し、本阿弥一門とその家職につながる集団を引連れ移住した。

元和2年、本阿弥光悦、光瑳親子は、ここに「法華の鎮所」を建立、寂照院日乾上人を招いた。そして日乾上人はその鎮所を寂光山常照寺と号している。
さらに日乾上人は常照寺に僧侶の学問所・鷹峰檀林を創設している。そのため、当時は常照講寺と呼ばれ、境内数万坪の中に、講堂、衆妙堂、玄義寮、妙見堂など三〇余棟の堂宇が軒を並べ、数百人の学僧が集う鷹峰一帯の学問の場となっていた。明治5年(1872)の学生発布により檀林制度は廃止されたが、精神は現在につながっているとのこと。
光悦筆の「学室」、六牙日潮上人筆の「旃檀林」の扁額、光悦画の「日輪蓮乗」、祖書研究の資料『録内啓蒙』等の板木、檀林関係の蔵書などの宝物が格護されている。

現在は、常照寺は勿論鷹が峯は京都の桜と紅葉の名所として知られ春秋には多くの人で賑わっている。

また吉野太夫ゆかりの寺として知られ、毎年4月第2日曜日に行われる吉野太夫花供養は京都の春の風物詩となっている。

参道から眺めると奥に吉野門が見える。

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この吉野門は、名前の通り日蓮宗に深く帰依していた島原の「吉野太夫」が寄贈したとのことであった。

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本堂。

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命日4月12日に行われる、吉野太夫供養祭。
島原から、花魁が参加される。

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吉野窓。 禅の教えにはこの丸窓は「悟りの窓」といい、四角の窓は「迷いの窓」といわれている。

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吉野太夫のお墓である。

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『帯塚』とその由緒。

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*二代目吉野太夫(本名松田徳子)
慶長11年(1606)3月3日京都で生れました。
14歳の若さで2代目吉野太夫の名跡を継いだ徳子は、やがて「寛永三名妓・天下随一希代の太夫」と謳われ、その名は遠く明国まで聞こえたといいます。

吉野太夫の名は多くの人々に知られ、『色道大鏡』『畸人傳』『吉野傳』などに虚像実像を織り交ぜながら紹介されています。

当時の遊郭は名だたる文人茶人、公家大名が集う高級社交場で太夫はその主として絶大な力を持っていました。
自分のサロンに招く者は太夫自身が選び、いかなる高位分限者でも一度太夫が首を横に振ればサロンへは一歩も上がれなかったといわれています。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-06-17 09:48 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)