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「日本武尊」を祀る近江の国一之宮『建部大社』20150817

「日本武尊」を祀る近江の国一之宮『建部大社』20150817



建部大社は古来建部大明神などと称え、延喜式内名神大社に列し、又近江国の一之宮として崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。

主祭神である「日本武尊」であるが、わずか16才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、遂に32才にして伊勢の能褒野にて没したとある。日本武尊の功名は日本書記に記されている。

(資料によると)「景行天皇の四十六年神勅により御妃布多遅比売命(父は近江安国造)が、御子稲依別王と共に住われた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが 当社の草創であって、その後天武天皇白鳳四年当時近江国府の所在地であった当瀬田の地に迂祀し、近江一之宮として崇め奉ったのが現在の当大社である。」とある。
(更に続く)「歴朝の御尊信篤く、武門武将の崇敬枚挙に遑なく、就中源頼朝は、 平家に捕われ、14才にして伊豆に流されるため、京都から関東に下向の折、永歴元年(1160年)320日当社に参篭して前途を祈願した事が平治物語に記されている。頼朝は遂に源氏再興の宿願成って、建久元年(1190年)11月右大将として上洛の際再び社前に額き襄年蒙った深い神助に対し、幾多の神宝の神領を寄進して奉賽の誠を尽されたのである。爾来当大社が出世開運、除災厄除、商売繁昌、縁結び、医薬醸造の神として広く崇敬される所以であり、 明治18年四月官幣中社に、同327月官幣大社に列し、国家最高の社格を与えられた。」とある。

場所は瀬田駅の南西2Km、石山駅の南東2Km。東西に走る道路から、少し北へ入った所に鎮座している。



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この項 <完>




by mo-taku3 | 2018-08-18 22:43 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2018-08-24 07:24
ヤマトタケルは 真偽相半ばする不思議な伝説と思います
大和朝廷が熊襲を征伐したことは事実でしょう 草薙の剣が熱田神宮に奉納されるのはどういう意味なのでしょうか 東海の豪族が大和朝廷を凌ぐ力を持っていたことなのでしょうか 
皇室が保持する三種の神器の剣は草薙剣の「形代(かたしろ)」とある本で読みました 安徳と共に沈んだ剣自体が形代であるとするとその後の皇位継承権の証としての三種の神器自体を熱田神宮から取り戻さないのは何故なのか 疑問が膨れ上がります
Commented by mo-taku3 at 2018-08-28 10:53
日本武尊の父は景行天皇で子供は仲哀天皇ですね。仲哀天皇の皇后は神功皇后となっており、何か不透明の時代ですよね。
神功皇后・応神天皇は別系統の豪族のようで政権交代前夜の感がします。ほぼ創作か色々な話の合成かこの時代を述べる日本書紀・古事記は?ですね。
それでも少し調べてはいます。