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竜馬ゆかりの地、京都伏見の【寺田屋】事件20160305

竜馬ゆかりの地、京都伏見の【寺田屋】事件20160305


伏見には龍馬通りというのがあるくらい、坂本龍馬とゆかりも深い。
史実と共に、激動の維新歴史や数々の史跡に関心を持つ人も多い。
この日もこの寺田屋には沢山の人が押し掛けていた。

龍馬が立ち寄った旅籠・寺田屋や、伏見奉行所・月桂冠本社・大倉家本宅などが同じ街道にある。
この辺りは、鳥羽伏見の戦(1868年)で激戦地となり、当時の建物の寺田屋は焼失している。
焼失前の建物があった場所は、現在、庭園になっており、小さな龍馬像も建っている。
現在の旅籠は、旧宅にならう形で明治期に建てられたとのこと。
庭園にある寺田屋騒動(1862年=文久2年)で戦死した倒幕派薩摩藩士の石碑がある。
旅籠の建屋は見学が可能である(10:00から15:40まで受付、16:00営業終了、大人400円)。
今回はちょっと遅くて入ることができなかった。

龍馬襲撃の模様;1866 年(慶応2年)1月24日の午前3時頃、寺田屋に滞在中の龍馬を、伏見奉行所の役人が襲撃した。龍馬はピストルで応戦しながら追っ手をかわし、裏階段から庭に出て、隣家の雨戸を蹴破り裏通りに逃れた。(一説によると、屋根伝いに逃れたとも)
負傷をしながら走って(500~600メートル)濠川に達し、水門を経て入り込んだ屋敷裏手の材木納屋に隠れたと云われている。「余程血をしたたらし(龍馬の)左の腕」などの記述があることから深手を負っていたのだろう。
この寺田屋には龍馬の恋人の「おりょう」がおり、薩摩藩に危急を知らせに走ったという。
その結果、龍馬の逃れた材木屋「近江屋三郎兵衛」の納屋から薩摩藩の舟に救出され、薩摩藩伏見屋敷(現在の松山酒造=月桂冠関連会社)に向かったという。

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*薩摩藩の尊皇派によるもう一つの「寺田屋事件」
1862年、薩摩藩藩主・島津忠義の父・久光が、千人の兵を率いての京都行きに、薩摩藩の尊皇派が同行し、薩摩藩の尊皇派を含め、各藩の過激派・尊皇派・尊皇攘夷派らで幕府を倒す計画を実行しようと、寺田屋に集まっていた。
久光は襲撃の計画を中止させようとし、各藩から命令を出してもらうが、拒否されてしまい薩摩藩士同士の斬り合いとなり、その結果、6人が死亡、2名が重傷、一部の尊皇派は説得に応じて投降した。
後日重傷を負った2名は、藩の命令に逆らったとして切腹となり、投降した藩士は各藩に引き渡された。
薩摩藩は、乱闘によって破壊された家の修復と迷惑料の他に、藩同士の斬り合いについての口止め料として、多額のお金を寺田屋に渡したといわれている。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-03-05 15:12 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2016-03-29 09:12
現在の寺田屋が龍馬当時の寺田屋でないことを 寺田屋の前の説明版で初めて知り何となく気落ちしたことを想い出します
そのくせ 龍馬の滞在した部屋や階段の下にお龍が入浴した風呂桶などが其れらしく展示されて居り 皆柱をなでたりしながら歴史体験を愉しんで居ます 私もその一人でした
薩摩の寺田屋事件は 海音寺潮五郎の作品が一番判り易く感じました 
当時の寺田屋は川がもう少し入り込んでいて 玄関前が直ぐ船着き場だったとのこと 歴史の中に身を置くには最高の場所ですね  
Commented by mo-taku3 at 2016-03-31 11:59
コメントの通りです。
“龍馬伝”でここの主人を草刈民代がやっており、この店さきが云われる通り以外と当時状況を再現していたように思います。
商売っ気が出るとどうしても史実がゆがめられますね。
政治がかかわってもですが。